広域のニュース

<阿武隈川物語>(21)天蚕 原発事故を超え

「緑のダイヤモンド」と呼ばれる天蚕。野外の木で飼育される
もえぎ色の美しい繭と生糸。黄色の繭ができることもある

◎第4部 養蚕(5)緑のダイヤ

 もえぎ色の繭と糸の美しさに目を奪われた。「緑のダイヤモンド」と呼ばれる天蚕。白い繭とひと味違う自然の神秘を感じさせる。
 伊達市霊山町掛田の地域おこし団体「りょうぜん天蚕の会」事務局長の八島利幸さん(82)は「糸が自然にあやを成し、織ると天然の景色が生まれる。光の反射が多様で、光沢が美しい」と魅力を語る。
 阿武隈川流域の養蚕地帯の一角である掛田の生糸は戦前、「掛田折り返し糸」のブランドで輸出された。横浜市に次いで2回目の生糸繭共進会も1881年、掛田で開かれた。

<風評被害に苦悩>
 養蚕が衰退する中、八島さんが「遊休桑園を生かして地域を活性化できないか」と考えたのが天蚕だ。2005年に会を結成。飼育から糸取り、機織りを行い、反物や小物アクセサリーなどを制作する。
 天蚕はハウスにネットを掛けて鳥や虫から守り、クヌギなどの木に卵を付けて育てる。野外飼育のため、東京電力福島第1原発事故の風評被害を受けた。「糸に放射性物質が含まれている」と誤解されたのだ。
 霊山町など市内の一部は当時、特定避難勧奨地点が点在した。会は放射性物質を検査し、安全性を確認。それでも、風評被害と観光客の減少で、原発事故の翌年は売り上げが半減、次の年も3割減だった。
 会員の元看護師鈴木静子さん(82)は20年前から、故郷の福島県浪江町で天蚕を飼っていた。原発事故で二本松市に避難。4年前、二本松に家を建てた。近所にハウスを借り、天蚕を飼い続ける。自宅のある浪江町権現堂地区は昨年、避難指示が解除されたが、一人で帰還するのは難しい。
 「虫を見ていると心が癒やされる」と言う鈴木さん。「そっとしておいた天蚕は良い繭を作る。自然に人間が手を加えてはいけない。人間が作ったものは必ず壊れる。原発しかりです」

<「命の美 後世に」>
 阿武隈川沿いの宮城県丸森町耕野の染織家石塚裕美さん(51)は一昨年秋に入会した。首都圏で働いていた石塚さんは化学繊維が肌に合わず、脱サラ。米沢市の専門学校で織物を学んだときに天蚕を知った。耕野に移住して20年。子育てが少し落ち着き、心引かれていた天蚕を飼う機会に恵まれた。
 耕野地区は宮城県内では放射線量が比較的高く、避難した移住者が多かった。児童数が減った耕野小は山村留学の受け入れを開始。石塚家は里親を引き受け、取り組みを側面支援する。
 「原発事故前、地域には自然と共に生きる生活があった。かけがえのない命の美しさを子どもたちに伝えたい」。石塚さんの願いだ。

[天蚕]日本原産の野蚕。「やまこ」「やままゆ」とも呼ぶ。蚕の糸より軽くて柔らかく、糸を織るには熟練の技が必要とされる。長野県安曇野市で江戸時代中期に飼育が始まったと伝えられる。


関連ページ: 広域 社会

2018年11月17日土曜日


先頭に戻る