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<伝統は流されない>山元・中浜神楽の今(上)共に 二つの保存会、心一つに

二つの神楽保存会メンバー(後方の4人)に支えられ、子ども神楽を演じる児童ら

 東日本大震災の大津波で壊滅的な被害を受けた山元町中浜地区で、受け継がれてきた伝統芸能がある。地元の中浜天(てん)神社に住民が奉納していた中浜神楽だ。震災後、休止したままの神楽保存会は、同町坂元地区の坂元神楽保存会と共に子ども神楽の指導という形で活動を続ける。伝統芸能が盛んな沖縄県を訪れるという新たな展開もあった。復活を目指す中浜神楽に思いを寄せる人々の今を伝える。(亘理支局・安達孝太郎)

 山元町の坂元小体育館で10月13日、年に1度の学習発表会があった。4年生11人が子ども神楽を演じた。
 しんとした静寂をしの笛の華やかな音色が破り、舞台が始まる。児童の笛は5人。後ろを支える4人は、中浜神楽と坂元神楽の保存会会員だ。大人の笛に助けられながら、子どもたちは笛と太鼓を演奏し、舞台中央では2人の児童がリズミカルな剣舞を披露した。
 「みんな頑張ったな」。大人たちは4カ月余りの指導を無事に終え、にこやかな表情を見せた。

<双方の特色融合>
 別々の神楽保存会が一緒に活動する全国的にも珍しい取り組みは2013年度、坂元小の子ども神楽の授業とともに始まった。震災で中浜地区沿岸部の集落が無くなり、中浜小が坂元小に統合されたことがきっかけだった。
 震災前、中浜小は授業に神楽を取り入れていた。坂元小に子ども神楽はなかったが、隣接する坂元神社では住民が坂元神楽を伝承していた。
 中浜小の伝統を坂元小で続けるため、教諭たちは住民と相談して二つの神楽保存会の協力を得ることを決めた。両保存会から3人ずつ来校し、総合学習の時間で教える。
 はやしなど中浜小の子ども神楽をベースに、人さし指と中指をそろえて腰に手を当てるといった坂元神楽の所作を加え、双方の特色を融合させた。坂元神楽の阿部清さん(74)は「もちろん支援をしたい思いはあったが、はやしの拍子も舞いも違う。最初は戸惑った」と打ち明ける。

<児童たちも呼応>
 二つの保存会を結び付けたのは神楽に共通する「演じ手の心」だった。
 授業では坂元神楽の荒井利男さん(69)を中心に座学も行う。豊作や大漁、そして平和の願いが込められていることを子どもたちに説明し、心構えも伝える。「怠ける気持ちを切り捨て、心を一つにする大切さを教える。心を大切にするのは神楽に共通すること」。荒井さんが力説する。
 呼応するように、中浜神楽保存会の高山一男さん(69)は「全員の息が合うことが第一。練習を重ねれば一つにまとまる」と呼び掛ける。
 集大成となった学習発表会当日。4年生13人のうち2人が風邪で欠席したが、11人は神楽を説明するせりふも含めて休んだ仲間をきっちりとカバーした。
 「心を一つにしようと思った」「伝統を引き継げるように頑張った」。舞台を終えた小野寺莉玖(りく)君(10)と斎藤仁成(ひとなり)君(10)が全員の思いを語った。

[中浜天神社と中浜神楽]菅原道真を祭り、ご神体は1572年に漁師千尋権六が海上で引き揚げたとされる。かつては千尋家が代々神主を務めたが、今は中浜行政区が神社を管理する。創建や神楽開始の詳細な時期は不明で、震災前は春の例祭で神楽が奉納されていた。12の舞で構成され、剣舞を子ども用にアレンジした。震災前の神楽保存会会員は15人ほど。


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2018年11月18日日曜日


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