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<伝統は流されない>山元・中浜神楽の今(下)復活へ 児童との約束心の支え

震災後に彫った神楽の面を手にする千尋正さん

 東日本大震災の大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県山元町中浜地区で、受け継がれてきた伝統芸能がある。地元の中浜天(てん)神社に住民が奉納していた中浜神楽だ。震災後、休止したままの神楽保存会は、同町坂元地区の坂元神楽保存会と共に子ども神楽の指導という形で活動を続ける。伝統芸能が盛んな沖縄県を訪れるという新たな展開もあった。復活を目指す中浜神楽に思いを寄せる人々の今を伝える。(亘理支局・安達孝太郎)

 山元町坂元小の学習発表会で子ども神楽が演じられた10月13日、高山一男さん(69)ら中浜神楽保存会の会員3人が、かつて中浜集落のあった町沿岸部を訪れた。保存会と交流を続ける沖縄県立芸術大准教授の呉屋淳子さん(40)らを、東日本大震災の慰霊碑に案内した。

<指導役も犠牲に>
 集落跡にぽつんと立つ碑には、地区で犠牲になった130人余りの名が刻まれている。「雄二は太鼓がうまかったんだ」。碑を見詰めていた会員からこんな言葉が漏れた。震災前まで中浜小で子ども神楽を教えていた二之宮雄二さん=当時(38)=のことだ。
 中浜小の児童が神楽を学ぶようになったのは1980年ごろ。同保存会が後継者を育てようと高学年を中心に希望者を募った中に、二之宮さんがいた。
 10人ほどの児童が大人に交ざって神楽を舞ったが、いつしか途絶えた。
 地域に伝わる文化を子どもたちに伝えようと、中浜小は2006年度、総合学習の時間に子ども神楽を始めた。「子どもたちから神楽がなくなったら寂しいべ?」。指導役を二つ返事で引き受けた二之宮さんは、周囲にそう話したという。
 震災の被害が大きく、坂元小の校舎を間借りした中浜小。二之宮さんら顔見知りの住民が大勢亡くなり、児童は元気を失っていた。
 そんな時、教員が子どもたちにやってみたい活動を尋ねた。返ってきた答えが「子ども神楽」だった。
 若い継承者がいない中、かつて小学生だった二之宮さんに神楽を教えた高山さんたちが子ども神楽を指導することになった。
 高山さんも妻と長女、次女を津波で亡くし、生後6カ月だった孫は今も行方が分からない。「子どもたちから神楽をやりたいという希望が出るとは思っていなかった。うれしくて涙が出た」。高山さんが振り返る。
 児童は11年10月、運動会で神楽を披露した。会場には、子ども神楽が披露されると伝え聞いた避難者が町外からも駆け付けた。「ありがとさんね」。震災後も続いた伝統に、お年寄りは目頭を押さえながら保存会会員や児童に声を掛けた。

<面完成 あと一歩>
 中浜小は13年、坂元小に統合され、子ども神楽は坂元神楽の要素を加えて続いている。保存会の会員は子ども神楽の活動に取り組む一方、復活の準備を進める。それには、代々神主を務めた千尋家の住宅と共に津波で流失した舞い手の面が欠かせない。
 面は今、千尋家の三男で保存会会員の正さん(70)が岩沼市の自宅で彫り進めている。正さんには木彫りの技術があった。
 これまでに六つを彫った。写真なども流され、記憶をたどりながらの作業は難航するが、復活に必要となる残り四つは2年ほどで彫り上げられそうだという。
 「震災で生き残った人たちに必ず見せてくれと言われている。子どもたちとも復活させると約束した」。正さんは静かに語る。


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2018年11月20日火曜日


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