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<東日本大震災>津波で被災した毘沙門天再降臨 60年に一度開帳の秘仏、文化財レスキュー事業で修復

社殿の一角に納められた毘沙門天立像を倒れないように固定する亀廼井さん

 東松島市野蒜の海津見(わだつみ)神社に鎮座し、東日本大震災の津波で流失後にがれきの中から見つかった毘沙門天(びしゃもんてん)立像(りゅうぞう)が今月、移転再建した社殿に移された。60年に1度しか開帳されない木造彫刻の秘仏で、文化財レスキュー事業によって修復された。氏子らは7年8カ月ぶりの復活を歓迎し、来春再開する春祭りでお披露目する予定。
 毘沙門天立像は高さ161.8センチ。カヤをくりぬいて作る技法などから、約700〜800年前の鎌倉時代の作品とみられる。地元では野蒜海岸で漁網に掛かったと伝わり、「海の神様」「目の神様」として信仰を集める。今年8月、市有形文化財に指定された。
 今月21日に新社殿へ運び入れられ、待ち望んだ氏子約20人が作業を見守った。社殿に無事納まると「素晴らしい目つきだ」などと勇壮な姿を見詰めた。
 震災の津波は海岸から約1キロ離れた神社を襲い、毘沙門天立像も社殿から流失した。神社裏に住んでいた無職桜井薫さん(77)らが神社周辺から頭や胴などを探し出し、文化庁の文化財レスキュー事業で東北歴史博物館(多賀城市)に引き渡された。
 像の大半は見つかったが、毘沙門天が踏み付けていた餓鬼は左脚以外、行方不明のままだ。
 桜井さんは「見つけた時は泥だらけだった。本当に戻ってくるのか不安だったが、毘沙門様にまた会えてうれしい」と喜ぶ。
 海津見神社は地元で「うみつみ神社」と呼ばれ、野蒜の亀岡地区で厚く信仰されていた。震災で亀岡地区は壊滅的な被害を受け、多くの住民が高台の野蒜ケ丘に集団移転した。神社は元の位置から約500メートル西に再建され、今年6月に氏子会が再結成された。
 神社は毎年5月5日に行っていた春祭りを震災の年から中止している。毘沙門天立像の復活を機に来年から再開させる予定で、伝統のみこしを亀岡地区に加え、野蒜ケ丘でも披露する。
 禰宜(ねぎ)の亀廼井(かめのい)雅文さん(59)は「氏子の皆と一緒に迎えられて感慨深い。来年の祭りの復活に合わせて毘沙門天立像も開帳したい」と張り切っている。


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2018年11月29日木曜日


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