広域のニュース

<残照>監督支えた努力の人 元ベガルタ仙台GKコーチ 藤川孝幸さん

試合前の練習で鋭いシュートを放つ藤川さん=2005年4月2日、仙台市泉区の仙台スタジアム(現ユアテックスタジアム仙台)

◎元ベガルタ仙台GKコーチ 藤川孝幸さん=川崎市、11月15日死去=

 初めて会ったのは1月、仙台市泉区の練習場だった。氷点下でも半袖、短パン姿。「こんな球も捕れないのか、ばか野郎」。キーパー陣に怒号を浴びせていた。
 2005年、J2だった仙台のGKコーチに就任した。J1神戸のコーチを辞してまで仙台に来たのは、盟友・都並敏史氏が監督に就任したからだ。
 収入もだいぶ下がったとこぼしたが「どちらかが監督になる時は、どちらかが支えるって決めていた。男の約束だよ」。故星野仙一氏と田淵幸一氏の関係にも似たものを感じる。キリキリと痛み通しの指揮官の胃を癒やす、一服の薬のような存在だったのだろう。
 豪放磊落(らいらく)な見た目だが、隠れた努力を怠らない人だった。キーパー陣を鍛え上げたキックは猛練習のたまものだ。高く蹴り上げるキーパーのキックと、シュート性のコーチのキックは全く種類が違う。ゴールに向かいひたすら蹴り続けた。国内外さまざまなチームを見てきたが、あれほど強烈かつ正確な球筋は見たことがない。試合前の練習で歓声が上がるほどだった。
 相手チームの分析も緻密だった。セットプレーは映像だけでなくインターネットの書き込みまで参考にした。夏場以降の武器となり、最終戦に勝てば入れ替え戦というところまで上り詰めたが、結果は引き分け。勝ち点1及ばず、都並氏とともに仙台を去った。
 15年にビジネス界に身を転じ、スポーツ施設運営大手のリーフラス常務に。17年には同社が経営権を持つ北海道リーグ十勝スカイアース代表に就任。今年4月のチーム記者会見で、末期の胃がんで抗がん剤治療をしていることを明らかにした。
 「必ず奇跡を起こします」。会見後、ツイッターにそう記している。56歳。あまりにも早過ぎる。(安住健郎)


2018年11月30日金曜日


先頭に戻る