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<戊辰戦争150年>土方歳三や東郷平八郎も参戦「宮古港海戦」歴史掘り起こす 旧幕府軍艦乗組員の子孫ら活動

プロジェクトについて話し合う下机さん(左から2人目)ら

 日本初の近代海戦として知られる宮古港海戦(1869年)に機関の故障で参戦できず、岩手県田野畑村の浅瀬に座礁した旧幕府軍の軍艦「高雄」乗組員の子孫らが「戊辰戦争150年プロジェクト」に乗り出した。地元に伝わる激動期の歴史を掘り起こし、後世に残そうという取り組みだ。

 旧幕府軍と新政府軍の軍艦が相対した宮古港海戦には、新選組副長の土方歳三や後に日露戦争で連合艦隊司令長官となった東郷平八郎も参戦している。
 戊辰戦争で劣勢にあった旧幕府軍は、停泊中の新政府軍の最新鋭艦「甲鉄」を奪取しようと軍艦「回天」で奇襲攻撃を仕掛けたが失敗。北海道の函館へと敗走した。
 2004年発行の村広報誌によると、高雄は帆を張り、追走する新政府軍の艦船から逃れようとしたが村の羅賀地区の海岸で座礁。乗組員96人は、砲弾をよけながら上陸して山中に逃げた。
 大半の乗組員は投降したものの、二十数人が行方不明になった。このうち1人だけ村に土着したのが、仙台藩士の武市徳之助だった。現在の宮城県松島町出身で、地元の向井家にかくまわれて所帯を持った。
 武市の子孫でプロジェクトリーダーの下机(しもつくえ)勝則さん(65)は「村に根付いた人物は他にもいたのではないか」と推測する。向井家の子孫向井利信さん(66)は「子どもの頃、父に『潮が引くと高雄の船体が見えた』と聞いた」と話す。
 羅賀地区には、座礁した高雄の船体部品を加工した茶釜や火鉢が今も残っているという。「砲弾を屋根の重しにする家もあった」など地元に伝わる逸話も数多い。
 プロジェクトでは、戊辰戦争や高雄に関する情報を地元住民に募って冊子にまとめる計画だ。下机さんは「激動期の隠れた史実を発掘し、地域を元気にしたい」と語る。


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2018年12月01日土曜日


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