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「領主」交え最後の「崇仁講」 古内家主従の子孫143年交流、当代高齢で参加困難に

よろいかぶとや掛け軸を背にあいさつする重義さん(正面中央)

 藩制時代に仙台藩の要害「岩沼館」があった宮城県岩沼市で、かつての領主古内氏と家臣団の絆を後世に伝えようと始まった「崇仁講(そうじんこう)」が先月、開かれた。143年の歳月を刻んできた講も、古内家当代の重義さん(87)が高齢のため今回が最後の参加となる可能性がある。出席者は連綿と続いてきた講の歴史に思いをはせつつ、名残を惜しんだ。

 同市相の原集会所で11月23日にあった崇仁講には約30人が参加。重義さんのほか、かつての足軽衆が住んだ北の町(現在の同市中央4丁目)の住民らが神事の後、旧領主と家臣の子孫たちとして酒を酌み交わしながら昔話に花を咲かせた。
 崇仁講は1875年に結成された。大政奉還で武家政治が終わり、任務を解かれた足軽衆が、生業の一助になるようにと古内家から農地を与えられたことに感動。古内家初代重広の追号(贈り名)の「仁岩(じんがん)」から一字を取り、歴代主君をあがめるという意味を込めて名付けた。
 時代の流れとともに、町内会有志の親睦会へと姿を変えていった崇仁講。古内家から贈られたよろいかぶとや掛け軸が往事を伝える物として残るのみで、古内家当主が参加しない時代も続いたが、2000年代に入って重義さんが出席するようになった。
 重義さんも高齢となり、自宅のある仙台市から年に一度の会合に駆け付けるのが難しくなってきた。重義さんは「不遜にも、初代仁岩さんの代わりに戻ってきたと感じていたが、体ががたがたになってきた。もうお邪魔できないとも思ったが、今回はけじめのために来た」と語った。
 崇仁講実行委員会の委員長芳賀盛さん(71)は「ご当主には体力的に難しいと言われたが、元気な姿を見せてほしいと無理を言って来てもらった」と話す。講は今後も続ける方針だが、どういう形にするかを講員らで相談するという。


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2018年12月03日月曜日


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