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<どうする登米の医療>開業医はいま(中)過疎地の担い手 体続く限り「支える」

米川診療所で子どもを診察する木村さん。30年間、過疎のまちの患者を見守り続けている

 宮城県登米市は本年度、深刻な医師不足のため、運営する3病院4診療所のうち二つの診療所を休止した。その一つ、同市登米町の登米(とよま)診療所に通っていた患者1073人は、約3分の1が地元医院で診察を受ける選択をした。地域医療の最前線で住民の健康と命を守る同市の開業医の現状と課題を探る。(登米支局・小島直広)

 「どう、お母さん、最近の息子さんの様子は?」。10月下旬の月曜朝、登米市東和町米川(よねかわ)地区。この地区唯一の民間医院「米川診療所」で2歳男児が健康診断を受け木村康一医師(63)が優しく声を掛けていた。

<50歳を過ぎ独立>
 健診を終えた母親(42)は「自宅から一番近い小児科。平日夕方や土曜も診察していて働く身にはとても助かる。先生は子どもの顔と名前、健康状態をきちんと覚えてくれているので、安心できる」と話した。
 米川地区は915世帯、2280人(10月現在)。市北東部の中山間地にあり、かつては林業で栄える宿場町だったが、太平洋戦争後の5800人をピークに人口が激減した。現在も少子高齢化が著しく、毎年約50人ずつ人口が減る。
 木村さんは気仙沼市出身、自治医科大卒。登米市に合併する前の旧東和町立「国民健康保険米川診療所」に1988年、33歳で勤務医として着任した。
 50歳を過ぎたころ、独立するかどうかで悩んだが、「この地に医者が一人いれば、地域はあと20年は持つ」と考え、公務員の職を辞して米川地区と共に歩むことを決断。合併2年後の2007年、診療所の建物を市から借り受ける「公設民営型」で開業した。当時は家族を仙台に残す単身生活だった。
 「赤ん坊からみとりまで全てを診てきた。人間の死という荘厳な場にご家族と共に立ち会い、医師としての経験を積ませていただいた。お世話になった住民がいるこの地で骨をうずめたいと思った」と振り返る。

<週2回訪問診療>
 木村さんは内科と小児科の外来患者を月曜から土曜まで診察。学校や企業の健診と予防接種、週2回は約15人の訪問診療もこなす。
 診療所にはお年寄りの姿も多い。木村さんが開業した07年度から、市内で唯一のデマンド型乗り合いタクシーが同地区で運行を開始。年会費3000円を支払うと1回300円で乗車でき、自家用車を運転できない高齢者が通院に利用する交通システムも整う。
 木村さんは市内の医師計3人で在宅診療のネットワークをつくり、休日や夜間の相互バックアップ体制を取る。中核病院の登米市民病院に対しては「在宅患者が突然入院が必要になった場合には、いつでも引き受けてもらえる態勢がほしい」と要望する。
 木村さんが「あと20年」と考えた時期は9年後に迫る。「体が持つ限り診療所を続けたい。でもいつかは若い人にバトンタッチしなければならない日が来る。過疎地の医療は誰かが支えなければならないのだから」と強調する。


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2018年12月03日月曜日


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