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<週刊せんだい>仙台圏のキリシタン物語(1)夫や子思い静かに祈る 五郎八姫と栗生の隠れ里

仙台市の旅行会社「たびむすび」が五郎八姫と栗生地区をテーマに企画した街歩きツアーで、薬師堂を案内する佐藤さん(右)。お堂の奥に、謎めく木像が納められている=11月下旬

<農民のため寄進>
 閑静な住宅街の一角に、謎めく木像が安置された薬師堂が立つ。高さ28センチほど。髪は長く胸が膨らんでおり、女性の像と一見される。顔立ちは西洋風で、下顎に小さく十字が彫られている。地元では、江戸幕府によってキリスト教が禁じられていた時代に、キリシタンが納めたものではないかといわれている。
 仙台藩祖伊達政宗のまな娘、五郎八(いろは)姫が一時期暮らした仙台市青葉区の栗生地区は、禁教期のキリシタンを思わせる遺物や風習が残り、キリシタンが隠れ住んだ里だったのではないか、との説がある。
 五郎八姫は、20代前半の若さで松平忠輝と離縁させられ、キリスト教に救いを求めたといわれる。仙台城に住んでいた姫は、40代で栗生にある「西館」と呼ばれる屋敷に移った。暮らし始めて以降、地域の農民のために薬師堂を寄進したと伝わる。
 五郎八姫にちなんだイベントを開催している市民グループ「姫まち文化研究所『姫研』」代表の佐藤康子さん(59)=太白区=は、「迫害が激しくなる中で、姫は栗生のキリシタンたちをそっと見守るためにこの地に来たのかもしれません」と語る。

<12膳の箸添える>
 薬師堂近くにある鬼子母神堂には、地域の13軒の間でひっそりと続く独特の行事がある。栗生在住で、五郎八姫を研究する元小学校長の沢口隆雄さん(85)は、鬼子母神祭についてこう説明する。毎年、旧暦の8月15日夜、氏子一家の家長が、生魚やお神酒、12膳の箸を添えたお膳をお堂に供える。自宅とお堂の往復は人目に触れないようにし、家族も口を閉ざして家長の帰りを待つ。
 8月15日はカトリックの聖母被昇天の祭日に当たり、12膳の箸はキリストの12弟子を意味するとも取れる。父親と兄が家長として行事を続けていたという沢口さんは「確かな証拠はないが、250年以上前には始まっていたのではないか」とみる。
 沢口さんは、2000年に住民らが五郎八姫の生涯を物語にした本を刊行した際、編集の代表者を務めた。「姫は若くして夫だけでなく幼い長男とも離れ離れにさせられた。仙台城からほど近い農村だった栗生の里は、夫や子を思いながら静かにキリスト教を信仰するのに適した地だったのではないか」と推察する。

 仙台圏のキリシタンにまつわる地域の歴史や風習などを紹介します。

[五郎八姫]1594〜1661年。伊達政宗と正室愛姫の第1子。政略結婚により12歳で徳川家康の六男、越後高田藩初代藩主の松平忠輝に嫁ぐ。1616年に謀反などの疑いで忠輝が領地を没収されると、政宗の元に戻った。生涯再婚しなかったのは、教義上、離婚を禁じるカトリックの信仰のためとの説がある。


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2018年12月06日木曜日


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