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「田野畑の母」恩忘れない 元開拓保健婦・岩見ヒサさん「しのぶ会」住民有志が活動続ける

岩見さんの墓前に手を合わせるしのぶ会のメンバー=田野畑村の宝福寺
岩見ヒサさん

 岩手県田野畑村で多くの住民に慕われ、2015年に97歳で亡くなった元開拓保健婦岩見ヒサさんの足跡を語り継ごうと、住民有志の地道な活動が続いている。戦後、無医村で保健指導に奔走し、原発誘致反対の運動を先導した岩見さん。住民有志は「村の自然を愛したヒサさんの思いを伝え残したい」と語る。

 村と近隣市町村の住民でつくる「岩見ヒサさんをしのぶ会」の20人が11月24日、岩見さんの墓前に集まった。中には親族の出産を岩見さんに手伝ってもらったという人もいる。皆で花を手向け、思い出話に花を咲かせた。
 歌人でもあった岩見さんは大阪府出身で、結婚を機に1950年に転居した。村の美しい海と山野、澄んだ空気に胸を打たれ「吾(わ)が住(す)み処(じょ)ここより外になし」と決意を詠んだ。
 へき地を巡回し指導する開拓保健婦、助産婦、養護教諭として活躍。20キロの雪道を歩いて回った姿を村民の多くが覚えている。石原弘村長は「村にとって母のような存在。未来を見通す力があった」と振り返る。
 定年退職後の77〜83年には、請われて村婦人団体連絡協議会長を務めた。80年代初頭、田野畑村明戸地区への原発誘致計画が持ち上がると、調査に異を唱え、村の女性たちを束ねて反対運動の先頭に立った。
 専門書で勉強し、原発の危険性を訴えた。地域振興か自然保護か。村を二分する論議を経て計画は撤回された。
 東日本大震災の大津波で明戸地区は壊滅的被害に見舞われた。もし原発が立地していたら、村は…。
 しのぶ会の事務局担当中村イスさん(73)は「『3.11』後、私たちがこうしていられるのも、ヒサさんをはじめとする方々のおかげ」と思いを新たにする。
 しのぶ会はこれまで、追悼集の刊行や交流会の開催で遺徳をしのんできた。24日の集まりでは岩見さんの歌碑増設を求める声も上がった。畠山吉郎会長は「今後も交流会を重ね、ヒサさんの足跡を伝える活動を続けたい」と話す。


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2018年12月06日木曜日


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