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<酪農郷の軌跡 岩手・和光集落>(上)開拓期/新天地自然に向き合う

入植70周年祝賀会で南部牛追い唄を披露する滝口さん
1957年に和光集落であった家畜共進会(和光開拓史より)

 切り立つ奥羽の山並みを背景に酪農を営む岩手県金ケ崎町の和光集落が今年、入植70周年を迎えた。困難の中で山林を切り開いた初代、集落の自治に奔走した2代、都市化の波に立ち向かう3代。戦後日本の片隅で、脈々と受け継がれてきた開拓精神の軌跡をたどる。(北上支局・布施谷吉一)

 「丈夫なうちは体を動かさないと。手間を惜しんじゃいけない」。町中心部から西に10キロ。牧野の広がる丘陵で滝口春雄さん(90)が農作業に精を出していた。今では少なくなった現役の入植初代だ。
 東根市に生まれ、1942年に14歳で満州(現中国東北部)の開拓青少年義勇軍に志願。戦後はシベリア抑留で樹木の伐採や製材の重労働に駆り出された。「銃を構えられたこともあった。栄養失調にもなりかけた」。極寒の地から帰郷を果たしたのは48年10月。終戦から3年がたっていた。
 ようやくたどり着いた古里だったが、8人きょうだいの3番目に居場所はない。「迷ったが、ほかに仕事はない」と引き揚げ者を対象とした開拓地入植事業に応募して48年11月、20歳で和光集落へやって来た。

<山形出身者集う>
 新天地に集った滝口さんら56人は、多くが満州で開拓に従事していた山形県出身者だった。
 「オーロラは天地相和して放つ極の光である。和して光る開拓地になるように」(和光開拓史)。集落名を「和光」とし、似た身の上の若者たちによる理想郷づくりが始まる。
 林立するアカマツとササが生い茂る土地では、宿舎一つ建てる空き地もない。滝口さんたちは協力して木を切り、地を耕し、家を建て、雑穀、ジャガイモ、サツマイモ、ライ麦と少しずつ、栽培作物を増やした。だが…。

<良質な牛乳評判>
 入植から5年がたった53年、大冷害が集落を襲う。農作物は全滅。和光の人々は、栽培農業から酪農へとかじを切った。
 「冷害でも乳牛の餌の牧草は大丈夫だった。酪農の良さを実感した」と滝口さんは振り返る。入植者はこぞって乳牛を購入。手絞りの牛乳を井戸水で冷やし、牛乳缶を馬車の荷台に載せて町へと運んだ。
 「他の入植者よりも良い牛乳を出したい一心だった」。ときに助け合い、ときに競い合う集落営農。いつしか「和光の牛乳は良質」との評判が方々で立っていた。

[和光集落]1948年9月に入植を開始し、当初の開拓面積は410ヘクタール。現在は50戸約150人が暮らす。2017年度は26戸が農協を通じて生乳を出荷している。


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2018年12月06日木曜日


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