宮城のニュース

<東日本大震災>「やっと妻も成仏できる」 身元判明の遺骨戻る 捜し続けた日々、今は涙

気仙沼署員から遺骨の入ったひつぎを受け取る信行さん(右)

 東日本大震災で行方不明となり、今月4日に身元が判明した宮城県気仙沼市波路上の佐藤才子さん=当時(60)=の遺骨が11日、夫の信行さん(67)に引き渡された。震災から7年9カ月、妻を捜し続けた信行さんは「やっと成仏させてあげられる」と涙を流した。(気仙沼総局・大橋大介)
 気仙沼署で、山田代幸署長らがひつぎに入った遺骨を信行さんに渡した。遺体は10月24日に防潮堤の工事現場で見つかり、気仙沼署と建設業者が約100片の骨を発見。DNA型鑑定などで才子さんと判明した。
 才子さんは信行さんの母しなをさん=当時(87)=と2人で避難場所だった高台に避難し、津波にのまれた。信行さんはしなをさんの遺体を1カ月後に確認したが、才子さんを見つけることができなかった。
 気仙沼市階上小、中の同級生だった2人が結婚したのは20歳の時。40年間、二人三脚でイチゴなどを栽培した。あの日、卵入りの即席ラーメンを自宅で一緒に食べた後、信行さんは市中心部に向かい、才子さんと会えなくなった。
 信行さんは2011年秋に2人の葬儀を済ませた。その後も月命日の捜索に加わり、時間があれば海岸を歩いた。すがる思いでむつ市の霊場・恐山も訪ねた。
 イタコから「もう捜さなくていいよ。成仏できるように、いつも手を合わせてくれてありがとう」との声を聞いたが、「『成仏できるように』ということは、まだ成仏していないということなんだ」と思った。
 毎朝、仏壇に才子さんが大好きだったコーヒーを供えるたび、「大丈夫。必ず見つけてやるから」と約束した。時間が経過し、行方不明者の発見は少なくなった。沖に流されたのではとの声もあったが、「諦めたことは一度もなかった」。
 4日朝に気仙沼署からDNA鑑定の結果を伝えられ、長女(38)と一緒に確認した。帰宅後、1人で仏壇に向かい「苦しかったよな、つらかったよな、悔しかったよな」と声を掛けると、涙があふれた。
 11日、引き渡しを受けた後に市内で火葬した。ひつぎには才子さんが愛用し、被災した自宅で奇跡的に見つかったオレンジ色のはんてんを入れた。長女が形見として持っていたが、「お母さんに掛けてあげて」との娘の言葉に従った。
 「年の瀬に帰ってきてくれた。やっと妻も成仏できる」と信行さん。表情は穏やかだった。


2018年12月12日水曜日


先頭に戻る