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亡き妻胸に、震災7年半で店再開「またラーメン屋、やっているよ」

約7年半の空白を経て再開したラーメン店で調理する大坂さん

 地域に愛された中華そばが7年半の空白を経て、石巻に復活した。店主の男性は、東日本大震災の津波で34年の歳月を共にした妻と店を目の前で失った。失意に沈み、自分を見失った日々。周囲の支えで新しい看板を掲げた今、亡き妻に笑って報告できる。「またラーメン屋、やっているよ」

 石巻市須江のラーメン店「浜よしのうまかべぇ〜」。店内の壁には、店主大坂善万(よしかず)さん(68)の口上が手書きでつづられている。
 「亡き妻の思いを胸に精いっぱい心を込めて作りたいと思います」
 10月1日に開店した。当初のメニューは中華そばのみ。来店する客にかつての常連が混じる。「懐かしいなや。『浜よし』の味だ」
 浜よしは震災前、同市湊の石巻港近くにあった。開店は1977年。大坂さんは妻かよ子さん=当時(58)=と2人で店を切り盛りした。人気は中華そば。あっさりしていて深みがあるスープに、細縮れ麺が絡まる。開店前は毎日、かよ子さんが味を確認した。
 2人で積み重ねた時間を津波は根こそぎ奪った。
 「お父さん、津波が来た」。濁流は店舗兼自宅の2階まで押し寄せた。大坂さんは、泳げないかよ子さんをつかんでもがき、隣の水産加工場に流れ着いた。
 びしょぬれになり、寒さで体がぶるぶる震えた。「お父さん、駄目だ」。寄り添っていたかよ子さんの意識が遠のいた。「こんな所で死ぬな」。かよ子さんの頬をたたき、声を掛け続けたが、助からなかった。
 プレハブ仮設住宅で一人の暮らしが始まった。よみがえるのはかよ子さんの最期。「布団や毛布があれば助かったのに」。悔しさと自責の念にさいなまれた。
 酒を飲んで、テレビを見て一日が終わった。1年後、体調に異変を来した。足がふらつき、思うように立てない。「このままでは駄目になる」。集会場に顔を出すようにした。同じように家族を失った被災者とのつながりが心を癒やした。
 震災から約4年後、東松島市の中華料理店でアルバイトを始めた。担当は炒め物。腕力が落ち、最初は鍋を持つのも一苦労だった。隣の持ち場はラーメンを作っていた。以前の感覚が戻ってくると、腕が鳴った。
 大坂さんの現場復帰を聞いた浜よしの常連客や友人が顔を出すようになった頃、居酒屋を営む常連が声を掛けた。「うちの店舗を使ってラーメン店をやってみないか」。大坂さんの胸に火がともった。居抜きで開いた店の名は、居酒屋の店名を加えさせてもらった。
 懐かしい中華そばの味を求め、店は新旧の客で繁盛する。「後押しをしてくれた人たちへの感謝を忘れず、真心を込めてラーメンを作りたい」と大坂さん。長く暗いトンネルを抜け出せた気がしている。夢は日本一、行列ができる店だ。


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2018年12月16日日曜日


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