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<あなたに伝えたい>2人のようになる見守って

父と祖母の思い出を語りながら、故郷の南三陸町に思いをはせる成子さん

◎阿部成子さん(千葉県習志野市)から良孝さん、やよ子さんへ

 優しくて何を言われても笑う父。ほとんど町から出たことがなく、友人も少ない父を正直、「ダサい」と思っていました。祖母も優しくておおらかな人。口げんかはするけれど仲良し親子で、いつも2人でのんびりと畑をいじっていたのを覚えています。
 長女である私の通学や習い事の送迎は、いつも家にいる父の役目でした。軽トラックの中で何時間待たせただろう。母が仕事で遅い時はラーメンを作ってくれたり、習字道具を洗ってくれたり。さんざん甘えたけれど、全部当たり前だと思っていました。
 2人の死は覚悟していましたが、安置所で遺体と対面した時はわれを失いました。ひつぎから離れられず、漏れた言葉は「ごめんなさい」。伝えておけばよかったと後悔が募ります。
 おっとりとした2人だけれど実は我慢強い。自分が悪い立場に置かれても文句を言わずに生きてきたことを震災後、親戚から聞きました。ぐっとこらえて「何も言わない」のがプライドだったのですね。
 震災を機に町を離れた私の環境は一変しました。復興支援で海外留学を経験し、奨学金で進学もできました。今は首都圏の外語大で学び、震災前には考えられないほど世界が広がりました。
 震災で肉親を失わなければ、広い世界を知ることもなかったでしょう。複雑な思いはありますが、つらい体験を糧にして生きていきたい。2人のように、おうような人柄になれるよう見守ってほしいです。

◎我慢強い父と優しくおおらかな祖母

 父の阿部良孝さん=当時(58)=、祖母のやよ子さん=同(84)= 宮城県南三陸町戸倉の自宅で成子さん(22)は母を含め4人暮らしだった。良孝さんは農業に従事していた。2人とも自宅で津波に遭ったとみられる。やよ子さんは翌日、良孝さんは約2週間後に見つかった。


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2018年12月23日日曜日


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