宮城のニュース

<18みやぎ回顧>(8)旧優生保護法国賠訴訟 人権尊重を社会に問う

追加提訴のため仙台地裁に入る原告弁護団。旧法に苦しんだ人々が次々と声を上げ始めている=17日

 東日本大震災から8年目となった2018年、宮城県内では行政に対する信頼をゆるがせるミスやトラブルが相次ぎ、尊い人命が失われる事件や事故も後を絶たなかった。紙面を飾った主な出来事を、最前線で取材に当たった記者が振り返る。



 11月中旬、旧優生保護法国家賠償仙台訴訟の原告で、県内に住む飯塚淳子さん(70代、活動名)の自宅を訪ねた。居間には、小包大のガラスケースに入った和紙細工の「桜」が飾られていた。
 同東京訴訟の原告となった県出身の男性(75)=東京=からの贈り物だという。「何かお返しをしなきゃ」と思いを巡らす飯塚さんはいつになく、楽しそうに見えた。
 後日、男性に会う機会があり、和紙細工のことを尋ねた。昔から趣味で作っていて「最初は桜のつもりだったが、亡くなった妻に『梅にしか見えない』と言われて梅になった」という。「飯塚さんは『桜をもらった』と喜んでいましたよ」と伝えると、照れくさそうに笑った。
 梅も桜も、春を象徴する花だ。2人をはじめ理不尽な生を強いられた人たちにとって、訴訟が「冬の終わり」につながってほしいとの思いを和紙細工に重ねた。
 「人生を返してくれ」。取材の度、飯塚さんと男性は何度も口にした。2人は4日に発足した全国組織「優生手術被害者・家族の会」の代表に就いた。子を持つ体を永遠に奪われた絶望を分かり合える出会いは、お互いに救いだったろう。
 飯塚さんは旧法廃止翌年の1997年から被害を訴え、国に謝罪と補償を求めてきた。子を産めない体を敬遠され、3度の離婚を経験。屈辱的な手術を受けた日を思い出すと、今でも怒りで声が震える。
 10日に与野党が示した救済法案の基本方針で、おわびの主体は「国」でなく「われわれ」とされた。過ちは取り返しがつかないが、せめて手術を推進した国に明確に謝ってほしい−。飯塚さんらの切なる願いだ。
 仙台地裁への全国初の提訴から約1年。原告は現在、全国6地裁で計15人に上る。
 時代背景を理由に「今更なぜ訴訟を」といぶかる向きもあるが、悲痛な人生を歩んできた当事者の声に耳を傾けてほしい。問われているのは、基本的人権に私たちの社会がどう向き合うかだ。誰もが差別や偏見の加担者にも、被害者にもなり得る。(報道部・横山勲)

[メモ]旧優生保護法は1948年施行。96年に母体保護法に改定されるまで障害者らへの強制不妊・避妊手術を認めていた。今年1月、知的障害を理由に手術を強いられた宮城の60代女性が全国初の国家賠償訴訟を仙台地裁に起こし、飯塚さんも5月に提訴した。


関連ページ: 宮城 社会

2018年12月25日火曜日


先頭に戻る