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<継承の危機 福島・被災地の伝統芸能>(中)出演機会/進む風化 つながり守る

約1年ぶりの大舞台。保存会の女性たちは唄や太鼓に合わせて「村上の田植踊」を披露した=11月10日、福島県富岡町

 福島県内の被災地の伝統芸能が、2度目の危機にひんしている。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故後の中断を乗り越えたものの、担い手不足などの課題に突き当たる。古里と避難先をつなぎ、コミュニティー維持の役割を担う福島の伝統芸能の今を追う。(福島総局・高田奈実)

 「久しぶりで、膝ががくがく」「やっぱり、年には勝てないわ」
 南相馬市小高区に伝わる「村上の田植踊(たうえおどり)」。踊り終えた保存会の19人は控室のテントで、一息つきながら冗談を交わした。

<1年ぶり大舞台>
 福島県内の伝統芸能が集う「ふるさとの祭り」(県など主催)が11月10日、同県富岡町であった。19人にとっては昨年の祭り以来1年ぶりの大舞台だ。
 保存会の一人、志賀敏子さん(61)は現在の居住地の相馬市から駆けつけた。「踊りがなければ、みんなで集まる機会はない。やってて良かった」
 田植踊は小高区村上地区の住民が100年以上受け継いできた。赤と黒の留め袖を着た女性が唄に合わせ「ヨイヤサッサー」などの掛け声とともに踊る。前座には道化役が登場する。2015年3月に県の重要無形民俗文化財に指定された。
 小高区は東京電力福島第1原発事故で避難区域となった。海岸に面した村上地区は東日本大震災の被害も大きく、保存会約40人のうち会長を含む12人が津波の犠牲になった。奉納を続けてきた高台の貴布根神社も地震で本殿が倒壊した。
 翌12年10月の「ふるさとの祭り」(会場・郡山市)が復活の舞台となった。保存会は同年夏から準備を開始。避難先で練習を再開し、流失した衣装を新調したり、花がさなどの小物を手作りしたりした。
 その後は年に4〜5回、出演依頼が舞い込んだ。県外にも出掛け、13年6月には国立劇場の舞台を踏んだ。

<住民離れ離れに>
 しかし、ここ3年で被災地の伝統芸能を支える機運は急速にしぼんだ。声が掛かる頻度は年1、2回に減少。保存会メンバーは風化が進んでいるように感じている。
 村上地区は震災後、居住が認められない災害危険区域に指定された。原発事故に伴う小高区の避難指示は16年7月に解除されたが、地元での暮らし再建は望めない。保存会の活動は、離れ離れとなった住民たちが顔を合わせる貴重な機会になっている。
 県外に避難するメンバーは顔を見せなくなった。それでも、福島市に自宅を再建した保存会事務局の岡和田とき子さん(67)は「踊りは人々を結ぶよりどころ。みんなに会えるとほっとする」と衣装に袖を通せる喜びをかみしめる。
 浜通り地方は「やませ」による冷害に襲われ、田植え踊りや神楽が多く生まれたとされる。こうした伝統芸能は震災と原発事故を経て、五穀豊穣(ほうじょう)や無病息災を祈る以上に、地域と人々のつながりを守る意味合いが濃くなっている。
 復活の田植踊を披露した12年の「ふるさとの祭り」の会場には、津波に命を奪われた保存会メンバーの遺族の姿もあった。
 「みんな感激していた」と岡和田さん。年1回でも披露する機会がある限り、「元気なうちは踊り続けたい」と語る。


2018年12月26日水曜日


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