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<揺らぐ原発城下町>宮城・女川からの報告(上)経済依存 特需去り再稼働に望み

宮城県女川町に造成中の観光交流エリア。女川湾沿いの一帯では重機が忙しく動き回る

 約半世紀の間、東北電力女川原発と共存してきた宮城県女川町の針路が揺らいでいる。東日本大震災からの復興需要が衰える中、女川1号機の廃炉が決定。原子力規制委員会による再稼働審査は申請から5年となった。原発と復興が支えてきた地域経済と町財政はどこに向かうのか。原発城下町・女川の今を報告する。(石巻総局・関根梢)

 原発が動けば経済が回る。「神話」が息づく町がざわついた。
 「廃炉作業にどれくらいの期間を要し、どれくらいの人員が必要になるのか。影響は不透明だ」
 女川1号機廃炉決定のニュースが流れた10月下旬、女川商工事業協同組合の木村征一理事長(77)が表情を曇らせた。

■ 浮沈懸かる業者
 同組合は原発関連の仕事を請け負う地元企業でつくり、95事業所が加盟する。原発再稼働の行方は加盟企業の浮沈に関わる。木村理事長は「原発が動くことで取扱品目が増え、金額も伸びる。今は2号機の再稼働を待ち焦がれている」と地元業者の思いを代弁する。
 稼働停止した原発の穴を埋めたのは復興特需だった。組合の取扱額約9億8000万円(2017年度)のうち、復興関連は3割を占める。売り上げは震災前の水準を回復したものの、先行きは予断を許さない。
 町の復興計画期間は本年度末に終わる。復興事業を展開する鹿島・オオバ女川町震災復興事業共同企業体(おながわまちづくりJV)関連の従事者数は、16年度の延べ約25万8000人でピークを過ぎた。復興需要は縮小が続く。

■ 人口減止まらず
 同組合が発足した1979年、1号機の建設が本格化した。80年代、女川の夜の街は原発関連の作業員らで大いににぎわった。町内の宿泊施設や飲食店は連日盛況で、組合の取扱額も80年代後半は右肩上がり。原発が小さな港町にもたらした「恩恵」だった。
 震災から7年9カ月。地元企業にさらに重くのしかかるのは、急加速する人口減だ。2015年の国勢調査で町の人口は10年比で37%減った。交流人口の拡大など対策を講じるものの、原発の存在感は相対的に増す。
 小売業や宿泊業を手掛ける「御前屋(おんまえや)」は、震災後休止したスーパーを20年に再開する。阿部哲也総務部長(36)は「スーパーへの作業員の通勤バス誘致も検討している。(東北電側と)直接取引がなくても、地元の事業者にとって原発の存在は大きい」と話す。

■ 次元違うマネー
 町内総生産は、震災の前と後の町経済の構造変化をくっきりと映し出す。
 震災前、町内総生産(09年度・約750億円)に占める「電気・ガス・水道・廃棄物処理業」の割合は5割を超えた。震災後の11年度は約202億円に激減し、電気関連も同年度以降1%前後に低迷。一方、復旧・復興事業で建設業が台頭し、14年度は町内総生産約484億円の6割近くに達した。
 小さな町の経済に次元の違う規模で流れ込んだ原発マネー。震災後、巨大な復興マネーが取って代わった。復興需要が衰えた今、町経済の主役は再び原発へ移ろうとしている。
 町議会の佐藤良一原発対策特別委員長は「地元事業者はまだまだ足腰が弱い。女川はますます東北電に依存していくのではないか」と町の将来を案じた。


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2018年12月27日木曜日


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