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シベリア出兵100年 耕野との関わり、広報に寄稿 丸森の元陸軍兵士・97歳八島さん

戦争関連資料や寄稿した耕野地区の広報「ふるさと」を見詰める八島さん
八島さんが発見し、丸森町まるもりふるさと館に保存されている青い目の人形

 平成から新しい時代への転換期に、あらためて「平和を大切にしてほしい」と願う男性が宮城県丸森町にいる。元陸軍兵士で、「青い目の人形」の保存などに関わった同町耕野の八島孝男さん(97)。シベリア出兵から100年の今年は、出兵と耕野の関わりを地区広報に寄せた。戦争が身近だった世代の一人として、歴史が語り継がれることを望む。

 八島さんは東洋大拓殖科1年だった1939年に満州を訪れ、大根の種まきなど開拓作業を体験した。学生対象の国の事業で、「大日本青年団学生義勇軍」と呼ばれたという。耕野村(当時)は40年に満州に分村をつくり、八島さんは分村の教員になることも考えた。日本人が入植したパラオも41年に訪問した。
 42年の正月の箱根駅伝選手に選ばれたが、戦争激化で大会が中止になった。大学を出て陸軍予備士官学校を卒業し、45年6月に小倉(北九州市)の砲兵部隊に配属された。
 「本土決戦の覚悟だった」と振り返る八島さん。「最後の墓参りをしてこい」と言われ、8月10日に故郷へ出発した。列車で向かう途中、原爆投下後の広島で、体中がただれた乗客らの姿に接した。
 88年、耕野公民館長となっていた八島さんは、耕野小の移転に伴い発生した不用品の中から、米国が戦前、友好のしるしとして日本全国に送った青い目の人形を発見し、町教委に寄贈した。人形は頭部が割れた痛ましい姿で、日米関係の悪化で「敵国」の人形が破壊された史実を物語る。
 周囲にも戦争体験者が少なくなかった。母方の伯父は、日本などがロシア革命の内戦に干渉した1918年のシベリア出兵に従軍した。八島さんと同じ砲兵部隊員だった伯父は「とにかく寒かった」と語っていた。伯父は小銃の弾丸に「やしま」と刻んだ印鑑を、母にプレゼント。八島さんは母から形見分けされた印鑑を長年使った。
 八島さんは「シベリア出兵と地域の関わりを知ってほしい」と今年、耕野振興会が毎月発行する「ふるさと」9月号に、伯父の思い出を寄稿した。太平洋戦争でタイに行った別の親戚は「人を殺したことがない者は前へ」と言われ、捕虜を突き刺す訓練をさせられたという。
 八島さんは「人の心をゆがめ、善悪の判断ができなくなるのが戦争。平和の尊さを今こそ自覚すべきだ」と話している。


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2018年12月28日金曜日


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