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<18みやぎ回顧>(12完)合戦原遺跡の線刻壁画公開(山元) 町の宝生かす誘客期待

山元町歴史民俗資料館で展示されている線刻壁画

 今月中旬、山元町歴史民俗資料館を訪れた。目当ては、11月3日の資料館リニューアルオープンで展示が始まった合戦原遺跡横穴墓の線刻壁画。工夫された展示や豪華な副葬品を通して古代に思いをはせた。
 新たに設置された壁画展示室は、横穴の雰囲気に近づけようと側壁や天井の一部も再現されている。人がいない時は真っ暗に保たれている。中に入るとセンサーが反応し、扇や家屋とみられる絵、笑っているようにも見える顔が暗闇から浮かび上がる。
 当時の有力者と考えられる墓の主を思う誰かが、わずかに差し込む日の光を頼りに壁画を描いていた様子を想像できる。
 「あの世での暮らしが描かれていると思う。幸せに暮らすようにとの願いが込められているのではないか」。専門家が講演で語っていた解説がすっと心に入ってきた。
 壁画の部屋の隣に副葬品の展示室がある。目を引くのが、有力者の家臣とみられる人物の墓から出た馬具だ。儀式の時に馬の首や背中を飾る金銅製の花形杏葉(はながたぎょうよう)は今も一部が金色に光る。金色に飾られた馬をイメージすると一大勢力の存在を感じられる。
 いったいどんな人物がいたのか。墓が造られたのは7世紀後半〜8世紀前半と判明している。7世紀は飛鳥時代で、645年の大化の改新を経て国が律令(りつりょう)制度を整えると同時に、蝦夷の支配する北方へ領域拡大を目指した時期だ。当時、蝦夷の南限が今の山元町周辺の北側だった。
 有力者は、遠く飛鳥から派遣されたのだろうか。だとしたら、どんな思いで最期を迎えたのだろう。
 想像力をかき立てられた後、ふと閑散とした館内が気になった。日曜日の午後2時すぎから50分ほどいたのに、出会った客は2人だけ。静かなのはいいが、もう少しにぎやかな方が墓の主も喜ぶと思う。
 東日本大震災の復興工事を機に光が当たった町の宝を生かすために、どう来館者を呼び込むのか。展示だけでなく、誘客にも工夫を期待したい。(亘理支局・安達孝太郎)

[メモ]東日本大震災の復興工事に伴う調査で山元町高瀬の合戦原遺跡から出土した54基の横穴墓群のうち、38号墓にあった壁画が移設された。高さ約1.5メートル、幅約3.8メートル。多様な図柄は東北地方の横穴墓ではほとんど例がない。2015年に発見され、京都市で加工修復作業が行われた。


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2018年12月29日土曜日


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