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<気仙沼大島大橋>4月7日開通、島民に期待と寂しさと 船での帰省は今年で最後に

到着したフェリーから次々と大島に降り立つ帰省客ら=2018年12月30日午後(画像の一部を加工しています)
大島小に残る大島村誌の原本。島甚句が紹介されている

 年の瀬。宮城県気仙沼市の大島の船着き場。正月を古里で過ごす人たちが次々と降り立った。気仙沼大島大橋の開通が4月に決まり、大島汽船(気仙沼市)はこれに合わせて一般旅客船を廃止する。古里を離れた島民が船で帰省するのは、今年が最後だ。
 同社によると、12月29日から帰省客が増え、30日午後からはカーフェリーの予約が埋まっている。船着き場がある浦の浜では、島民が子どもや孫らを迎えていた。
 宇都宮市の主婦武藤麻衣さん(30)は、子ども3人と帰省。荷物が多いことだろうと、JR一ノ関駅まで父が迎えに来た。「橋がつながれば便利になる。お盆は車で帰ってきたい」と期待する。
 名残を惜しむ声も。東日本大震災の津波で亡くなった祖母の墓参りに島を訪れた千葉市の会社員川西由美子さん(37)は「船で来られなくなるのは少し寂しい気もする」。手向けの花と乗ってきた船を、一緒に写真に収めた。


◎「島と唐桑にそり橋かけて渡りたいぞや今一度」 先人の夢、島甚句に今も

 気仙沼市の大島の住民にとって、架橋は長年の夢だった。離島に暮らす不便さを嘆き、いつか目の前の本土と橋でつながることを願い、島民たちが歌い継いできた「島甚句」がある。
 「島と唐桑にそり橋かけて 渡りたいぞや今(只(ただ))一度」
 大島在住の郷土史家千葉勝衛さん(92)は「いつ頃に作られたのか、詠み人が誰なのかも分からない」と説明する。
 「島節」とも呼ばれる島甚句は、漁業や畑作業などをする際に歌う労働歌だった。大漁祝いや農閑期の宴会で、酒が入ると自然と参加者が歌った。1960年代まで盛んに歌われた。
 千葉さんは「数多く作られたが、人気のあるものだけ残った」と言う。「島と唐桑〜」は、最も有名な句の一つだった。
 「大正6年(1917年)に存在したのは確実」と千葉さん。この年、大島小に勤務した教師たちが島の歴史や文化などを調べ「大島村誌」をまとめた。代表的な島甚句として「島と唐桑に〜」が紹介された。
 同校校長室の金庫に、大島村誌の原本が今も保管されている。文章に残った島甚句としては最も古い可能性があるという。後世に伝えようと千葉さんは大島村誌を書き写し、2007年に発刊した。
 「島と唐桑に〜」は島の男性が唐桑半島に住む女性を思った歌という説や、流刑地だった島にいた罪人が詠んだとする説、離ればなれになった大イモリが妻や子どもを思って歌ったとする説もある。
 いずれも定かではないが、千葉さんは「甚句は喜びや悲しみ、苦しみなどを表現した民衆の心の叫び。橋が欲しいと願う気持ちは今も昔も一緒だったということだ」と話す。


2019年01月01日火曜日


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