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<成人式>大川小で被災の鈴木さん、悲劇胸に野球続ける「みんなに胸を張れる自分でいたい」

震災当時、大川小6年だった鈴木さん(中央)。成人式終了後、中学時代の仲間と記念撮影に臨んだ

 東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が犠牲となった石巻市大川小の当時の児童が13日、初めて成人式を迎えた。同校の6年生は16人が死亡・行方不明となり、5人が難を逃れた。その1人、仙台大2年鈴木大雅さん(20)=宮城県柴田町=は「みんな自分の心の中で生き続けている。みんなに胸を張れる自分でいたい」と節目の舞台に臨んだ。
 鈴木さんは13日午前、スーツ姿で石巻市河南地区の成人式に出席した。地元を離れて入学した中学校の同級生と笑顔を交わしつつ、「(大川小の)みんなと一緒に出たかった」と胸の内を吐露した。
 あの日は朝から体調が優れず、ずっと保健室にいた。午後、父新一さん(56)が迎えに来た。新一さんが担任と話していた時、地震が起きた。新一さんと共に長面地区の自宅に戻り、祖母や姉らを車に乗せ、約20キロ離れた内陸部にある母の実家に避難した。
 大川小の悲劇を両親から聞いたのは数日後だった。所属する野球チームの仲間は14人のうち9人が亡くなった。「もう会えないんだ」。部屋で一人泣いた。
 避難先から通える河南東中に入学した。自己紹介で大川小出身と言うと、教室がざわついた。「大川小」と言えば嫌でも注目され、「最初は大川小出身と言うことに抵抗があった」と振り返る。
 野球道具は全て津波に流され、野球を続けるかどうか悩んだ。迷いを振り切れたのは「やりたいことをやりなさい」という新一さんの言葉だった。
 「大川小の仲間も野球を続けたかったと思う。みんなの分まで頑張ろう」。硬式野球のチームに入り、3年時には投手として全国大会に出場した。
 野球の縁で茨城県の高校に進学後、「少しでもみんなの近くにいたい」との思いから仙台大に入学した。硬式野球部に入り、練習に明け暮れる日々を送る。
 悲劇を語り継ぐ使命も感じる。高校生になり、友人らに大川小のことを話すようになった。大学で自己紹介を兼ね、当時の出来事を伝えた。「他の場所でも災害は起きる。震災を知らない多くの人に大川小のことを知ってほしい」と願う。
 休日には帰省し、時々大川小の跡地を訪ねて手を合わせる。「みんなが見守ってくれたから野球を続けられている」。目指すは大学日本一。亡き級友やチームメートの思いを胸に、二十歳の青春を生きる。


2019年01月14日月曜日


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