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<哲学者の梅原猛さん死去>「震災は文明災」と持論 東北への思い深く

東京で開いた書の個展について話す梅原さん=2006年4月

 仙台市出身の哲学者梅原猛さんが12日、93歳で亡くなった。東北への思い入れは強く、東日本大震災について「文明災の面もある」と持論を展開、脱原発の文明論を掲げた。縄文文化の研究に身をささげ、「縄文時代は東北が日本の都だった」と主張、未来に向けた東北のありようを常々発信していた。
 梅原さんは1925年に仙台市の実母の実家で生まれた。母方の祖父は石巻市でマグロ船の網元だった。1歳で母を亡くし、愛知県の伯父夫婦に引き取られた。
 東日本大震災発生後は、政府の復興構想会議の特別顧問に就任。「私は仙台市の生まれで漁民の血を引いている。この老骨の命を国にささげる」。2011年4月の初会合で、東北復興への決意を示していた。
 東京電力福島第1原発事故を議題から外す方針を示した政府説明に、机を拳でたたいて抗議。「原発を議論しない会議は意味がない」と声を荒らげた。
 脱原発社会の実現を主張し、「技術が進歩すれば自然は奴隷のごとく利用できるという近代哲学が問われている」「和の文明、利他の文明に変わらなければならない」と訴えた。
 梅原さんは日本文化や歴史を追究する中で、「日本の深層には縄文がある」との歴史観に行きついた。地球の環境破壊を憂い、森と一体となって共生と循環の原理が貫く縄文文化を取り戻す必要性を強調。縄文文化が色濃く残る東北の独自性に着目していた。
 構想会議委員だった芥川賞作家の玄侑宗久さん(福島県三春町)は「哲学、歴史、文学の枠に収まらない大変にエネルギッシュな方だった。何度か対談もさせていただき、感謝している」としのんだ。
 宮城県の村井嘉浩知事は「復興は新しい日本の建設でなければならないという情熱を持っておられた。復興の完結を見ていただきたかった」と惜しんだ。
 河北新報社が1992年に設置した「第二国土軸七人委員会」の委員も務め、「東北は人類を救う文化を発信できる」と提言した。99年には東北芸工大(山形市)東北文化研究センターの顧問に就任。歴史、宗教、考古学など幅広い分野で東北研究に携わった。


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2019年01月15日火曜日


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