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<梅原猛さん死去>瀬戸内寂聴さん「自分の学問を発明し続けた」

 梅原猛氏は、京都の文化面を一手に引き受ける代表者であられた。ご自分では、哲学者と自称されていたが、より深い研究と独自の見識を開発していて、梅原学という魅力的な学問を発明していた。机にしがみついた学者ではなく、常に世界に目を開き、自身の学問の新しい開発に余念がなかった。
 天性の芸術的才能にも恵まれていて、学問の傍ら、創作能やスーパー歌舞伎やスーパー狂言を制作し、興行的にも大当たりさせた。
 あふれる思想を手で書くのがもどかしく、係の編集者は、梅原氏のふきあふれる思想の言葉を、かたっぱしから書き取る能力をもとめられた。その一人が私につくづく語った。
 「あの人は人間じゃないですよ。しゃべりはじめたら朗々としてつかまえる閑(ひま)がなく、その言葉を聞き取り、書くのが大変なんです。ああいう人を天才というのでしょう」
 私が三つ年上なので、いつの間にか「姉さん」と呼んでいた。根はロマンチストで、恐妻家で、美しい聡明(そうめい)な夫人がご自慢だった。百まで生きて書くと言い続けていたのに、93歳で亡くなったのが惜しい。
 京都の奇重(きちょう)な宝が失われたのが惜しい。(寄稿)


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2019年01月15日火曜日


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