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<梅原猛さん死去>「人間とは」問い続け 独創性を生涯貫く

新作狂言「根日女」に出演する子どもたちと話す梅原さん(中央)=2015年3月、東京都渋谷区の国立能楽堂

 12日に死去した哲学者の梅原猛さんはいつも、能の「翁(おきな)」の面を思わせる笑みをたたえていた。だが心は、少年のようなみずみずしい好奇心に満ちていた。古代から現代まで、あるいは歌舞伎から政治、スポーツまで、批評の対象は幅広かった。部屋にこもって研究することだけが務めではないという、現代の哲学者としての自負もあったに違いない。根底にあったのは「人間とは何か」という問い掛けではなかったか。

 少年時代は文学に傾倒したが、太平洋戦争で多くの人が死ぬのを目にして、哲学へと興味の対象を移す。京都大での卒業論文のテーマは「時」。あまりに独創的な内容に、指導教授が下した評価は「心境小説」だった。学者でありながら、従来の学説や“常識”にとらわれない歩みは既に始まっていた。
 あるときは「笑い」の研究に没頭する。さらに人間の全ての感情を記号に変換して分析する研究に着手したが挫折。日本の美術や宗教の背後にある感情の在り方に関心を持つようになり、日本文化全般が研究のフィールドとなった。
 また、あるときは「悲しみ」を考えた。歴史上の人物の出生や立場にまつわる悲劇に、想像力をかき立てた。「古事記の最終編集者は誰か」「柿本人麿(人麻呂)はなぜ死んだのか」。古代史の定説を覆す大胆な仮説は耳目を集め、学術の世界ではときに黙殺された。だが結論に至る過程は、人間の感情に沿った筋道を示し、多くの愛読者を得た。
 能の研究にも強い関心と時間を注いだ。能の世界には「虐げられた民の苦しみ」があると評価し、2010年に大阪市内で開いた講演では「あらゆる動植物が救われるという素晴らしい思想が込められている」と熱っぽく語った。
 そんな折、東日本大震災が起こる。政府の復興構想会議の特別顧問に就き「原発事故は文明災だ」と、脱原発を訴えた。さらに近代以降に広まった「人間中心の文明」を見直し、「自然の恐ろしさを知り、恩恵に感謝する時代に戻らなくてはいけない」と語っていた。
 幾度もがんを患いながら生き抜いたことを晩年のインタビューで「神様がぼくにやらせたいことがあるんだと思った」と述懐した。講演でも座談でも、実に楽しそうに語る弁舌は、迫力に満ちていた。勇気なしには貫けない独創ということを、身をもって示した一生だった。(共同通信記者 上野敦)


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2019年01月15日火曜日


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