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亡き母へ思い込めて 姉弁論、弟短文でそれぞれ入賞

恵美さんの遺影を前に、修一さん(右)と入賞を振り返る比奈さん(中央)、悠太さん

 築館高1年の田代比奈さん(15)と栗原市築館小5年の悠太さん(11)きょうだいが2017年9月に胆管がんで急逝した母恵美さん=当時(41)=への思いをつづり、弁論と短文のコンクールでそれぞれ入賞した。2人は「今後も母のことを思いながら前に進む」と誓う。

 比奈さんは18年12月、県高校弁論大会(県高校文化連盟弁論専門部主催)で最優秀賞に輝いた。悠太さんは18年11月の「はがきの名文コンクール」(実行委員会主催)で郵便名柄館賞に選ばれた。
 2人にとって母の死は突然だった。恵美さんは16年冬、医師から回復の見込みが薄いと告げられた。「子どもを不安にさせたくない。病名は伏せて」と夫修一さん(41)に頼み、2人に死期が近いことを知らせなかった。
 修一さんは、呼吸困難で恵美さんが緊急入院した17年9月、比奈さんに病名を告げた。その数時間後、恵美さんは息を引き取った。「子どもたちは状況を理解するのがやっとだった」と修一さんは振り返る。
 比奈さんは翌春、これまで整理してこなかった母への感謝の思いを、高校の課題作文に書き込んだ。作文は教師たちから高く評価され、弁論大会出場が決定。発表に向け文章を練り直す際は涙があふれたが、担任のサポートで乗り越えた。
 障害者相談施設の所長として人望を集めた恵美さんの仕事ぶりを同僚に取材し、何度も推敲(すいこう)した。大会では「母のように誰かのために一生懸命になれる伴走者になりたい」と力強く発表、審査員の共感を呼んだ。
 悠太さんは昨夏、祖母淑子さん(65)からチラシを手渡され、名文コンクールを知った。テーマは「一言の願い」。自然と恵美さんを回想し、亡くなる前後の出来事を記した。
 「僕の誕生日の9月21日は家に戻ってこれる?」と入院中の恵美さんに聞いたこと、21日が葬儀になったこと、祭壇の前で「将来はがん患者を救う医師になる」と誓ったこと−。涙をこらえて鉛筆を走らせた。
 「頑張るからね 見守ってください」と恵美さんに宛てたメッセージは応募作約2万7000通の中から、31点の入賞作の一つに選ばれた。奈良県であった表彰式では、いろんな思いが胸をよぎり、涙が止まらなくなった。
 夢は教員という比奈さんは「母みたいな存在になれるよう日々をしっかり生きる」と将来を見据える。悠太さんは「目標達成は大変だと思う。でも祭壇の前で決めた」と決意を語った。


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2019年01月21日月曜日


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