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<安住の灯 震災列島に生きる>第1部 8度目の冬(4)山田再生へ 答え探す

仮設住宅の坂道を歩く賢也さん(右)とテイさん。3月の閉鎖に伴い、別の仮設に引っ越す予定だ=岩手県山田町船越

 復興の遅れをじっとこらえながら、古里のために何ができるか思案する日々を過ごしてきた。
 岩手県山田町の東端に突き出た船越半島。若手町議の田老賢也(かつや)さん(34)は両親、祖母と共に船越第5仮設住宅(30戸)で暮らす。入居が4世帯にまで減った団地は、花見シーズン目前の3月で閉鎖される。
 仮設棟は桜の名所として町民に親しまれた芝生広場にある。森林が近く、日当たりが悪い。室内は湿気が多く、衣類にカビが生えやすいなど環境が良いとはいえなかった。それでも「住めば都。それほど苦にならない」と長引く仮住まいを受け入れてきた。
 町が決めた集約方針を受け、自宅が完成する秋ごろまで、いったん別の仮設団地に引っ越す。祖母のテイさん(83)は、地元の人たちと仮設の集会所で定期的に手芸やお茶会を楽しんできた。友人に「3月まではここにいるから、また来てね」と声を掛け、別れを惜しむ。
 賢也さんは寂しさを気遣いながらも「芝生広場の利活用は町民全体のためになるから」と前を見詰めた。

 東日本大震災発生時、賢也さんは東京農工大大学院入学を控え、東京都で暮らしていた。津波と火災で町中心部にあった自宅は全壊。家族は無事だったが、仮設住宅の抽選で外れ、半島への避難を余儀なくされた。
 2014年末、賢也さんは生態学の研究者の道を断って帰郷した。きっかけは町の支援に入った北海道のNPOによる復興費の巨額横領事件だった。役場のずさんなチェック体制も明らかになり、復旧途上の町は大きく揺らいでいた。
 「地元の将来に強い危機感を覚えた」。町政の透明化を訴え、15年の町議選に立候補して初当選。仮設から町内各地に通い続け、情報公開や復興、教育といった課題解決に取り組む。
 田老さん一家が自宅を新築する予定地は、三陸鉄道(宮古市)に移管され、3月に運行を再開するJR山田線の陸中山田駅のそばにある。町が駅周辺をかさ上げし、区画整理した。
 宅地の引き渡しは17年の秋。工事業者が決まらず、着工は19年4月以降にずれ込む。顔なじみの住民は、ほとんど別の地区に移り住んだ。
 賢也さんが町全体の将来を見据える一方、家族は復興事業の遅れに複雑な思いをのぞかせる。建具店を営む父の邦光さん(60)は「昔暮らした地域に戻るのに、近所付き合いが大きく変わる。残念だ」と話す。

 平地の狭さや用地取得の難航など、事業を阻むさまざまな制約を知る立場の賢也さん。父の気持ちは理解しつつも「遅れは仕方なかった面もある」。新たな地域づくりへの懸念に、自分なりの模索を重ねる。
 自宅の再建先近くに、約150世帯が住む災害公営住宅がある。賢也さんは地元の市民団体の一員として、定期的に現地でパソコン教室のボランティア講師を務める。行事のチラシ作りなど自治会活動を活性化してもらい、交流を深めてもらうのが狙いだ。
 「いくら新しい住まいが整っても、コミュニティーがしっかりしなければ町は再生できない」。今も響く工事のつち音を聞きながら答えを探し続ける。


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2019年01月24日木曜日


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