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<阿武隈川物語>(25)中世への帰趨決する

震災の年に植えられた中尊寺ゆかりのハスの花。背景の手前右が厚樫山
町内を練り歩く義経まつりの静御前の行列

 東北の入り口である福島県南から北上する阿武隈川流域は古来、中央による東北支配の最前線となった。大和朝廷の蝦夷征服はじめ、源頼朝の奥州合戦、明治維新まで。時代の転換点となった舞台を歩き、近代までの歴史を考える。(角田支局・会田正宣)

第5部 近代まで(3)奥州合戦

<中尊寺の株分け>
 宮城県境近く、福島県国見町のシンボルである厚樫山。親しみやすい名山を望む同町西大枝地区の中尊寺蓮池を7月に訪れると、約45アールの水田にピンクや白のハスが咲き誇っていた。約150キロ離れた中尊寺(岩手県平泉町)ゆかりのハスだ。
 1950年の中尊寺金色堂の調査で、藤原泰衡の首が入ったおけからハスの種が見つかった。そのハスが国見町に株分けされた。縁を取り持ったのが、奥州合戦だ。
 国見は奥州合戦最大の激戦地だった。藤原氏は厚樫山から阿武隈川まで約3.2キロにわたり、二重の堀と土塁による防塁を築き、源頼朝を迎え撃った。防塁は中尊寺蓮池の脇を通る。
 平氏との戦いでは鎌倉を動かなかった頼朝が、奥州合戦には自ら出陣し、国見に陣を構えた。土地の権利をかけた「一所懸命」の主従関係に基づく鎌倉方に対し、氏族の緩やかな連合体だった奥州勢は敗れた。
 封建社会で、農業生産と生活圏の形成は新たな発展段階に入る。貴族社会から武家政権へ、古代から中世への転換期の帰趨(きすう)を決した舞台が国見だった。
 町内では9月、奥州合戦にちなみ、時代行列が練り歩く「義経まつり」がある。町郷土史研究会長の中村洋平さん(77)は「坂東(関東)に負けたのは時代の流れで残念。ただ、日本が統一された変革期を物語る遺構は町の宝だ」と誇る。

<「吾妻鏡」に記述>
 鎌倉時代の史書「吾妻鏡」には「国見宿と阿津賀志山の間に堀を構え、阿武隈川をせき入れて柵となし」とある。だが、水位を考えると、阿武隈川の水を引くのは現実には難しいようだ。
 この記述を巡り、町文化財センター「あつかし歴史館」の歴史文化資料調査員笠松金次さん(67)はこんな仮説を立てる。西大枝を流れる支流の滑(なめり)川は、防塁との高低差が約10メートルあった。「滑川をせき止めれば天然の堀になり、吾妻鏡と合う」と考える。
 もともと西大枝は阿武隈川の氾濫原地帯で、ぬかるみ、昔は「田げた」という舟のような板に乗って田植えしたという。ハスの生育には条件が良かった。
 平泉から2009年に株分けされたレンコンを、有志の国見町中尊寺蓮育成会が鉢で増やした。「いよいよ植え付け」というときに東日本大震災が起きた。延期も考えたが、鎮魂の意を込め、その年の4月に植えた。
 育成会長の氏家博昭さん(72)は「藤原氏はあつい浄土信仰を通じ、平和の精神を伝えた。震災の年に植えたハスで、東北の心を国見から発信したい」と顔をほころばせた。

[奥州合戦]源頼朝が1189年、四代続いた奥州藤原氏を滅ぼした戦い。常陸(茨城県)の中村氏が戦功で伊達郡などの所領を与えられ、伊達氏となるなど、以後の東北の原型ができた。阿津賀志山防塁は1981年に国史跡に指定された。


関連ページ: 福島 文化・暮らし

2019年01月24日木曜日


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