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<安住の灯 震災列島に生きる>第1部 8度目の冬(5)やっぱり戻る 閖上へ

仮設住宅を定期的に訪問する市の生活支援相談員(左)と、団地の思い出を振り返る菅原さん=名取市愛島郷2丁目

 地元に戻るか、よそに移るか。災害公営住宅に入るか、自宅を建て直すか。「できるなら、家賃を払ってでも仮設に居続けようと考えた時期もあった」
 名取市の愛島東部仮設住宅で暮らす菅原忠男さん(69)は今月6日、市沿岸の閖上地区に新築する自宅の地鎮祭に臨んだ。一家6人の新居は4月ごろに完成する予定。再建の迷いとともにあった約8年に及ぶ仮設生活が、ようやく終わる。
 東日本大震災の津波で閖上にあった自宅が全壊。妻の則子さん(68)と長男夫婦、孫2人で内陸部にある仮設に移り住んだ。182戸が満室だった団地は現在、6世帯を残すのみとなった。
 自宅の再建先は、孫の希乃亜(ののあ)さん(9)が通う小中一貫校の閖上小中に近い。今は仮設団地から約10キロ離れた学校にスクールバスで登校しており「歩いて通えるようになるのがうれしい」と言われる。
 震災当時は1歳だった孫娘の成長を見守ってきた忠男さんは「悩んだが、閖上に戻ると決めてよかった」と目を細めた。

 閖上は甚大な津波被害を受け、約750人が犠牲となった。復興事業に時間がかかり、地域の将来像がなかなか見えなかった。
 2011年秋、市は区画整理とかさ上げで「現地再建」を目指す方針を決定。住民への意向調査で「閖上に戻りたい」と答えたのは3割を下回ったが、事業推進にかじを切った。
 津波被害で変わり果てた光景を目にした忠男さんや家族も「不安で戻れない」と落ち込み、当面は仮設で暮らすと決めた。
 着工の遅れも響き、住宅復興の形が見え始めたのは、最初の災害公営住宅が完成した16年夏ごろ。震災から5年以上たっていた。
 その間、菅原さん一家が暮らす仮設団地の周辺では、復興需要を背景に住宅の建設が相次いだ。「中古でいいから、この辺りに物件はないか」。内陸部での住宅取得が忠男さんの頭をかすめたこともあった。
 地域情報紙「閖上復興だより」を発行している格井直光さん(60)は「住民は古里の喪失感や郷愁から心が揺れ動き、新たな住まいを巡って難しい選択を迫られた」と心情を代弁する。

 「やっぱり戻ろう」。菅原さん一家が決断したのは17年春ごろ。地元で閖上小中の新設と、校舎の工事が進みつつあった。
 希乃亜さんが小学生になり、新設校で学ぶ見通しとなっていた。兄の真拓(まひろ)さん(17)も自室が必要な年頃になった。いったんは公営住宅への入居を検討したが、一戸建て用の宅地確保に踏み切った。
 仮設団地の自治会長を2年9カ月務めた忠男さんは地元の出来事を記録するため、新聞のスクラップブック作りを今も続ける。
 切り抜くのは楽しかったイベントだけではない。市が14年、土地所有者から仮設団地の用地返還を求められ、住民に転居を要請した記事などを含む。コミュニティーの分断を危惧した住民が力を合わせ、市が要請を撤回するまで反対運動を重ねた。
 「大事に保存し、孫たちが大きくなったら読ませたい」。災後の新しい歴史を刻む地域で、仮設暮らしの苦楽を若い世代に伝えるのが使命と考えている。


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2019年01月25日金曜日


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