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<阿武隈川物語>(27)正統と異端 意識融合

白石川に飛来したハクチョウ。宮城県南には白鳥信仰が根付いていた=蔵王町宮
逢隈旅館に飾られている明治天皇の御真影=2018年11月、宮城県柴田町槻木の逢隈旅館

◎第5部 近代まで(5完)明治維新前後

 冬の使者は優美だ。宮城県南を流れる阿武隈川支流の白石川に、今年もハクチョウが羽を休める。

<白鳥信仰根付く>
 思い浮かぶのがヤマトタケルノミコト。異境で客死し、白鳥になって都へ飛んでいったという神話は鮮烈だ。
 飛来地の近く、同県蔵王町宮の刈田嶺神社はヤマトタケルノミコトを祭る。境内には江戸時代に奉納された白鳥の絵馬や、白鳥を刻んだ古碑群がある。
 佐藤稔宮司(83)は「つがいの白鳥は夫婦仲を表し、縁結びの神徳がある。神の化身として白鳥を敬う信仰が、明治時代以降まであった」と話す。
 村田町の白鳥神社、大河原町の大高山神社もヤマトタケルノミコトを祭る。白石川沿いの各地に白鳥信仰が根付いていた。
 もっとも、宮城学院女子大の平川新学長(68)によると、ヤマトタケルノミコトが祭神とされるのは近世以降という。その前は、蝦夷の安倍一族の安倍則任(白鳥八郎)を祭っていたとみられる。安倍氏の出身地は白鳥郷(奥州市前沢)で、素朴な自然信仰と、地方の英雄の悲劇が結びついたのが始まりと推察する。
 平川学長は「逆賊の安倍氏より、皇祖神を祭る方が、神社の格式が上がると考えたのだろう。古代の豪族への親近感を抱きながら、天皇家を高貴な存在として受容する。正統と異端の両方の意識が融合していたと思われる」と分析する。

<巡幸の休憩地に>
 当時の民衆の天皇に対する敬愛は、明治の天皇制国家をスムーズに受け入れる素地となった。
 戊辰戦争で進駐した新政府軍兵士が領民の制止を無視しハクチョウを撃ったことに端を発する「白鳥事件」。戊辰戦争に負けた仙台藩側は事態収拾のため、その地の領主が切腹した。
 事件の舞台になった柴田町で、白石川が阿武隈川に注ぐ。合流地点の槻木地区に、江戸時代から続く逢隈旅館がある。明治維新直後の明治天皇巡幸で休憩場所となった。その際、「逢隈亭」の名を賜った。ウナギのかば焼きが名物で、昔は阿武隈川産を扱った。
 戦時中の1942年、町が旅館の庭に明治天皇巡幸の記念碑を建立。紀元節には児童が遙拝(ようはい)に来た。
 天皇は戦後、国家元首から象徴へ変わった。戦地や被災地の慰問に精力を注がれた現天皇陛下は、4月30日に退位される。
 18代目亭主の猪股和郎さん(82)は願う。「平成の時代は争いごとがなく、静かだった。これからも穏やかな日本であってほしい」
(角田支局・会田正宣)

[明治天皇巡幸]明治維新直後に農民一揆や不平士族の反乱が続発する中、全国の人心の掌握を目的に行われた。戊辰戦争に敗れた東北には1876(明治9)年と81(明治14)年の2回訪れた。


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2019年01月26日土曜日


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