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<安住の灯 震災列島に生きる>第1部 8度目の冬(7完)郷愁の念 寄る辺求め

もりおか復興支援センターが定期的に開く「お抹茶の会」で、近況を語り合う内陸避難者やボランティア=盛岡市内丸

 地元を遠く離れた都市部での避難生活は、いまだに終わっていない。
 東京都内で昨年12月9日に福島県が開いた「ふくしま避難者交流会」。東京電力福島第1原発事故後、県内から首都圏に避難した約70人が参加し、久々の再会を喜び合った。
 富岡町から避難する林八重子さん(67)は「気持ちは町にあるが、なかなか東京から離れられず約7年が過ぎた」と振り返った。
 都内の集合住宅をみなし仮設として暮らす。顔見知りやかかりつけの医師もできたが、仮設の入居期間は避難元の自治体ごとに異なる。2017年4月に一部を除いて避難指示が解除された富岡町など4町村は、19年度末に期限を迎える。
 町内にある林さんの自宅は帰還可能な地域にあるが、津波で大規模半壊した。今春にもいわき市で新たな生活を始めるつもりだ。「町には戻れないが、どうしても福島を次の住まいとして外したくなかった」。心の奥底にある郷愁は今も消えない。

 民間の賃貸マンションなど既存の住宅を被災者に提供するみなし仮設制度は東日本大震災後に本格運用され、活用が広がった。
 震災から間もない11年度は、プレハブなどの建設型仮設を上回る約7万世帯が入居。岩手、宮城、福島3県には昨年末時点で計3783世帯が残り、都内には原発事故の避難者758人(昨年11月末)がとどまっている。
 仙台市内もピーク時にみなし仮設が1万663世帯に上るなど、物件の多い都市部での入居が顕著だった。一方、居住地の分散でコミュニティーづくりが難しく、孤立しがちな被災者への支援が課題となった。
 岩手県では沿岸で被災した約1500世帯が、一時的に内陸部の自治体にあるみなし仮設に移った。昨年末時点で、まだ185世帯が入居を続ける。

 陸前高田市の自宅が津波で全壊した湊洋子さん(77)は、親類宅への避難を経て、11年7月に盛岡市内のみなし仮設に入居した。
 夫(80)と6畳二間のアパート暮らし。「周りに知り合いがほとんどおらず、不安が大きかった」。新天地で心の支えとなったのは、もりおか復興支援センター(盛岡市)が開催する被災者の交流行事だった。
 県が16年、盛岡市内に災害公営住宅を整備する計画を公表すると、迷わず入居を決めた。内陸部で最大規模の「南青山アパート」(118戸)が完成する日を、古里を離れ、新たな寄る辺を求める多くの入居予定者が心待ちにした。
 当初は今年12月に完成するはずだったが、期待は裏切られる。県は交通渋滞の緩和のため計画を変更。20年東京五輪・パラリンピックをまたぎ、約1年遅れる見通しとなった。
 湊さんは足腰の不調を訴える夫とともに「なるべく早く、エレベーターがあって少しでも広い住宅に移りたい」と切望する。
 「復興五輪」の翌春には国による10年の復興期間が終わる。支援センター長の金野万里さん(60)は「公営住宅などに入居した後も、コミュニティー形成など切れ目のない支援は欠かせない。どう継続していくかが問われる」と先行きを危ぶむ。


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2019年01月27日日曜日


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