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繰り返す巨大津波知って 弥生中期の砂層、山元町資料館で展示 東日本大震災と同規模

弥生時代中期にあった大津波の痕跡が分かる地層

 宮城県の山元町歴史民俗資料館で、約2000年前の弥生時代中期に仙台平野を襲った津波跡が分かる中筋(なかすじ)遺跡(同町鷲足)の砂層が展示されている。弥生時代の津波は仙台市若林区の沓形(くつかた)遺跡や中筋遺跡の調査などから、東日本大震災時とほぼ同規模だったとみられている。町教委の担当者は「弥生時代の巨大津波が太平洋岸を広範囲に襲っていたことを多くの人に知ってもらいたい」と話す。
 中筋遺跡の砂層は2011年3月11日の震災当日に町教委の学芸員が発見し、12年度からの本格調査で津波による砂とみられることが確認された。
 町教委などによると、砂層は当時の海岸から約2.3キロ(現在の海岸から約3.9キロ)の地点にあり、砂の分布は遺跡内で途切れていた。津波は砂よりも泥を遠くに運ぶことから、津波は遺跡よりさらに内陸に到達したとみられる。中筋遺跡と沓形遺跡周辺の浸水域は同等規模とされている。
 中筋遺跡の砂層の下には水田跡が見つかっているが、水田を復旧した痕跡は確認されず、被災後に放置されたと考えられる。約400年後の古墳時代前期まで人が生活した形跡はないという。
 中筋遺跡は07年に津波跡が発見された沓形遺跡と約30キロ離れている。弥生時代の津波を研究している仙台市教委文化財課の斎野裕彦専門員は「中筋遺跡で見つかった津波堆積物によって、弥生時代の大津波が広範囲を襲っていたことが実証された」と指摘する。
 中筋遺跡の砂を含む地層展示は昨年11月に始まった。山元町教委の山田隆博学芸員は「この地層から東日本大震災が特別の災害ではないことが分かる。巨大津波が繰り返し襲ってきていることを知ってほしい」と話している。

[中筋遺跡]常磐自動車道建設に伴い約4140平方メートルで調査が行われた。山元町教委によると縄文時代後期−晩期の遺物を含む層、弥生時代中期の水田跡、古墳時代前期の墓とみられる土坑群などが見つかっている。弥生時代の水田跡が確認されたのは県南で初めて。


2019年01月29日火曜日


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