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<没後70年 朝河貫一の問い掛け>(上)専門家に聞く/平和訴え外交姿勢批判

[じんの・たかし]福島市出身。東大大学院修了。同教授などを経て2008年早大文学学術院教授。ヨーロッパ中世史。朝河貫一研究にも取り組む。60歳。

 福島県二本松市出身で日本人初の米エール大教授となった朝河貫一(1873〜1948年)が亡くなって70年が経過した。世界的歴史学者で日米開戦回避に動いた平和主義者でもあった。ナショナリズムが台頭している現代に、朝河の業績や思想を見つめ直したい。研究者と地元関係者、次代を担う若者に聞いた。(郡山支局・岩崎かおり)

◎早大文学学術院教授 甚野尚志氏

 朝河は1929年の英文の著書「入来文書(いりきもんじょ)」で日本の封建制度を世界に紹介した。早稲田大文学学術院の甚野尚志教授(ヨーロッパ中世史)は「欧米での日本学の開祖」と評価。「戦後の日本を心配していた」とも指摘する。
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 <「入来文書」は日欧の封建制を比較研究したことで知られる>
 日本と西欧の類似と相違を明解に論じた。日本の古文書の写真版と英訳に加え、素晴らしい英語で解説した。くずし字を読めない米国人学生も日本の資料を読み解けるようになっている。米国の日本史研究者は朝河の著書を読むことから始める。欧米での日本学の開祖のような人物だ。
 <朝河は41年、日米開戦を回避しようと、フランクリン・ルーズベルト米大統領から昭和天皇への親書の草案を作成した>

<裏切られた主張>
 日露戦争の際、朝河は著書「日露衝突」(04年)でロシアの植民地拡大の野心を批判。日本が国際的な正義の側に立っていると主張した。米国でも講演をして大きな反響を得た。
 しかし、日本は中国に侵略して大陸での植民地拡大の道を歩みだし、朝河の主張は裏切られた。その後、彼は平和主義者として日本の外交姿勢を批判し続け、国際的正義の立場に立たなければならないと訴えた。
 <親書が昭和天皇に届いたのは真珠湾攻撃当日の12月8日だった>
 届いても無駄だと思っていたかもしれない。朝河は批判的であったが、戦後の日本をとても心配していた。「絶対に立ち直れる」と確信もし、「最終的に一致団結できるから大丈夫だろう」と信じていた。
 <エール大や福島県立図書館には、朝河の膨大な草稿やメモ、書簡が残る>

<強い使命感 記す>
 エール大大学院の学生時代から付き合いがある年上の文通相手の米国人女性がいた。朝河が出した100通余りが残っている。
 日露戦争での日本の大義を訴えた講演について「愛国者ではなく、1人の研究者の視点で説明しようとした」と記し、日本を米国に紹介する強い使命感が伝わる。著書「日露衝突」に関して「学問的立場から私の論述に触れた書評がない」とのいら立ちも記した。
 <昨年11月、朝河の研究を再評価する学術協会を設立した>
 著書や論文、草稿から、業績と思想を再評価し、われわれが取り組む歴史学を考え直し、新しい学問的な発信をしたい。社会科学や政治学、国際関係論も含めて学問分野を横断して総合的に研究していく。
 今も世界では紛争が起きている。どう和解するかなど、中国や韓国、東アジアの問題などに応用できる。県立図書館や地元の顕彰協会と連携し、シンポジウムの定期開催も考えている。

[朝河貫一(あさかわ・かんいち)]歴史学者。1873年12月20日二本松藩士の家に生まれる。東京専門学校(現早稲田大学)卒業後、米ダートマス大とエール大大学院で学ぶ。1937年エール大教授。48年8月11日心臓発作で死去。74歳。「平和の提唱者」としても評価され、エール大に2007年、「朝河貫一平和庭園」ができた。

[入来文書]鹿児島県薩摩川内市の入来地区に伝わる平安末期から幕末の古文書群のうち155点を基にした朝河貫一の研究書。フランスと比較して日本に独自の封建制があったことを英文でまとめた。日本の封建制度が世界史に位置付けられるきっかけとなった。

 


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2019年01月29日火曜日


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