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<われら平成元年組>(4)多賀城外郭南門復元整備構想/凍結と震災越え軌道に

復元が予定される多賀城外郭南門予定地。左奥が政庁、右手は多賀城碑の覆屋=多賀城市市川

 31年にわたった「平成」が間もなく幕を下ろす。この間、社会は大きな変革を遂げ、5月には新たな元号を迎える。1989(平成元)年という節目に誕生し、時代の荒波を乗り越えてきた仙台圏の施設、団体などにスポットを当て、それぞれの歩みを振り返る。

 歴史のまち多賀城市で、30年にわたって足踏みを強いられた計画がようやく動きだす。国特別史跡多賀城跡の南門を再建する「多賀城外郭南門復元整備構想」。完成目標は2024年。創建1300年という節目の年だ。
 構想が持ち上がったのは1989(平成元)年だった。当時の伊藤喜一郎市長(故人)が提唱し、市はふるさと創生基金を「史跡のまち基金」として積み立てた。
 史跡発掘を担当し、市文化財課長などを務めた高倉敏明さん(67)=宮城県七ケ浜町=は「当初は政庁南門を検討したが、遺構への影響を考えて外郭南門になった」と振り返る。
 「94年には実施設計書もできた」(高倉さん)ものの、その年に伊藤市長が在任中に死去。経済情勢の悪化も響き、事業は長く凍結されることになった。
 転機が訪れたのは2008年だった。「現職の菊地健次郎市長が全国史跡整備市町村協議会会長に就任したのが大きかった」と高倉さんは指摘する。
 東日本大震災で一時実現が危ぶまれる局面もあったが、「復興のシンボル」などとして国の補助を受ける見通しが立った。昨年11月に菊地市長が「全力で取り組む」と推進を表明した。
 構想は軌道に乗りつつあるとはいえ、国の予算措置の行方によっては完成が遅れる恐れもある。高倉さんは「長年の悲願だっただけに感慨深いが、実現するまで気が抜けない」と話した。(多賀城支局・高橋秀俊)

<メモ>古代の拠点の一つだった多賀城は奈良時代の724(神亀元)年、大野東人(おおののあずまひと)によって創建された。1998年に国重要文化財(古文書)に指定された多賀城碑に記述がある。碑は多賀城外郭南門のすぐ北側にある。


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2019年02月07日木曜日


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