広域のニュース

<阿武隈川物語>(30)農民救済 置き去りに

阿武隈川をせき止める蓬莱ダム。東北振興政策の一環で建設された
旧満州に渡り、旧ソ連軍に抑留された佐藤さん

◎第6部 近現代(3)振興政策

<東北一の発電所>
 福島市飯野町と二本松市の境の阿武隈川に、高さ21.5メートル、長さ133.3メートルの壮観な蓬莱ダムがまたがる。ダムの水力を利用する約6キロ下流の東北電力蓬莱発電所(出力3万8500キロワット)は1938年の完成当時、東北最大の発電所だった。
 昭和初期、東北は冷害に悩まされた。特に34年の凶作は深刻で、娘が身売りされるなど悲惨だった。
 国の東北振興政策で、東北興業と東北振興電力が設立された。東北振電は、東北の産業発展のため安価な電力の供給が目的。発電所第1号が蓬莱で、戦後に東北電に引き継がれた。
 東北振興政策に詳しい仙台市の歴史研究者一戸富士雄さん(88)は「蓬莱発電所を要として、東北の送電線網が確立された」と位置付ける。
 37年の日中戦争勃発で、生産力増強のため電源開発が急がれた。東北振電も発電能力を拡充、経営は順調だった。だが、戦争の進展で、電源開発を一元化した日本発送電に吸収された。

<軍需投資に変質>
 一方の東北興業は農民に提供する肥料製造に取り組んだが、失敗。大砲生産や造船など軍需企業への投資に変質した。
 一戸さんは「農民救済の目的は追いやられ、軍需品の生産基地と化した」と指摘。「地主制が強く、貧農が多かった東北は、低賃金の労働力を軍需産業に供給した。その構造は戦後まで変わらなかった」と嘆く。
 凶作に恐慌が前後し、農村に追い打ちを掛けた。繭代暴落で養蚕地帯の福島県北は苦境に陥り、ハワイなどへの移民が増加。日系移民は真珠湾攻撃で差別を受け、名誉回復のため、ナチスドイツとの戦線に志願した2世も少なくなかった。
 国が農村対策として進めたのが、旧満州(中国東北部)の開拓移民だ。
 山が迫り、耕地が少ない阿武隈川沿いの耕野村(宮城県丸森町耕野)は旧満州に分村を建設した。
 旧満州を知る人が宮城県丸森町内に生存する。佐藤三吉さん(88)は45年3月、14歳で「満蒙開拓青少年義勇軍」に参加し、敗戦で旧ソ連軍に抑留された。
 小作農家の10人きょうだいの三男だった佐藤さん。1反(10アール)当たり5、6俵の収穫のうち小作料は3俵半だったという。佐藤さんは「土地が広い旧満州なら食べ物の心配がないだろうと、親は喜んで送り出した。農家の次男、三男にとって軍人が一番よい飯の種だった」と回想する。
 栄養不足で餓死した仲間を今も忘れられない佐藤さんは、怒りを込める。「庶民の生活向上に努めるより、戦争に大金を費やした国は、農奴を容認していたようなものだ」

[東北振興政策]岡田啓介内閣が1934年、諮問機関の東北振興調査会を設置。答申に基づき、36年に「東北興業」「東北振興電力」の2社が設立され、配当に対する政府保証など優遇措置を受けた。東北振興総合計画は国防に資するよう位置付けられた。


関連ページ: 広域 社会

2019年02月16日土曜日


先頭に戻る