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<大覚野峠トンネル化検討>「米の道」復活に光

 歴史的に大覚野峠が物流面で果たした役割は大きい。江戸時代は穀倉地帯の仙北地方から阿仁鉱山に食糧を運ぶ「米の道」だった。峠は北側の米代川水系と南側の雄物川水系の流域を隔てる分水嶺(れい)。勢力争いが繰り広げられた戦国時代までは自然の要害になった。
 地方史研究家の土肥稔さん(66)=横手市=は「秋田藩による阿仁鉱山の開発が峠道の改修を促した」と解説する。峠の北西約20キロにある阿仁鉱山は1716年、産銅量日本一に。多くの働き手を食べさせるため、仙北地方から大量の米を運び入れる必要があった。
 大覚野峠の地名は、峠道の改修を指導した藩重臣今宮大学に由来するとされる。積雪期は米俵をそりに載せて運んだ。米の道として大覚野峠が担う役目が大きくなる一方で、仙北地方では藩の過酷な収奪に反発し農民一揆も起きている。
 明治から昭和にかけて鉄道網が整備され、大覚野峠越えの物流は存在感が薄れた。国道105号の峠区間は難工事が続いて長らく「幻の国道」と言われ、開通は1974年まで遅れた。


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2019年02月26日火曜日


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