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<あの日を力に>子どもたちの選択[1]感謝忘れず貫く覚悟

仙台レインボーハウスで仲間たちと談笑する東さん(左)=2月9日、仙台市青葉区

◎古里を支える警察官に/盛岡大4年・東晃平さん(22)

 肉親を失い涙に暮れた子、荒涼とした古里に心痛めた子…。東日本大震災から8年の歳月を経て、あの時の子どもたちは若者に成長した。警察官や防災研究、漁業、地域の再生といった志を立て、歩み始めたそれぞれの軌跡と選択を紹介する。(5回続き)

 今春、岩手県警の警察官になる盛岡大4年の東晃平さん(22)は震災時、陸前高田市第一中の2年生だった。
 震災から1カ月後、市職員の父靖信さん=当時(46)=の遺体と対面し、やり場のない怒りを警察官にぶつけた。父は市役所にいて津波にのまれたとみられる。
 小学校の体育館には亡くなった方々が安置されていた。一目で父と分かったが、立ち会っていた警察官は「DNA型鑑定で確認できるまで引き渡せない」と繰り返した。
 「どうして連れて帰らせてくれないのか」。警察官に必死に食い下がった。警察官は興奮した東さんの気持ちを受け止めつつ、落ち着くのを静かに待った。帰り際に「困ったことがあればいつでも連絡して」と掛けられた言葉が今も耳に残る。

<熊本が転機に>
 あしなが育英会の仙台レインボーハウス(仙台市青葉区)で昨年11月末、東日本大震災と阪神大震災で親を失った遺児たちの交流会があり、東さんは岩手県警を選んだ理由を語った。
 「震災の行方不明者捜索で、常に第一線に立っていたのが警察官だった」
 転機は大学2年の夏だった。熊本地震の被災地にがれき撤去のボランティアに行き「岩手も大変なのに、どうもありがとう」と感謝された。支えてくれた人たちに自分は感謝や恩返しができているだろうか。将来の目標が、泥まみれで行方不明者の捜索に当たってくれた警察官に定まった。
 公務員試験の勉強は大学3年の秋に始めた。「決めたら最後までやり通せ」。物事を途中で投げ出すと、父に厳しくしかられた。亡き父の言葉を励みに多い日は10時間、机に向かった。
 刺激になったのは、共に震災を経験した陸前高田市の同級生だった。電話した時に勉強していると「負けられない」と再び参考書を開いた。
 今年2月9日、仙台レインボーハウスであったイベントに参加し、あしなが育英会東北事務所の職員たちに進路が決まったことを報告した。「おめでとう」「良かったね」。皆、自分のことのように喜んでくれた。

<「向いている」>
 陸前高田レインボーハウス(陸前高田市)に、小学生の男の子をおんぶする中学3年の頃の東さんの写真が残っている。
 あしなが育英会東北事務所の西田正弘所長(58)は「子どもから大人まで自然に接することができる人柄だった。人と関わる警察の仕事は向いていると思う」とエールを送る。
 4月に入校する警察学校では厳しい訓練と寮生活が待っている。「今の自分があるのは周りの人たちのおかげ。感謝の気持ちを忘れずにいたい」。選んだ道を貫く覚悟はできている。


2019年03月06日水曜日


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