宮城のニュース

<震災8年>旅行者を避難させた後津波の犠牲に…亡き義父の教訓抱いて 及川健治さん、追悼式でスピーチ

正虎さんとの日々を回想する健治さん

 東日本大震災当日、津波が来る直前に旅行者を避難させ、自らは帰らぬ人となった男性がいる。宮城県塩釜市の及川正虎(しょうこ)さん=当時(88)=。仕事に趣味に人生を謳歌(おうか)した義父をしのぶ娘婿の健治さん(73)は11日、遺族代表として市の追悼式でスピーチする。

 正虎さんは登米市出身で太平洋戦争後、塩釜市のJR本塩釜駅前に紳士服店を構えた。好況時は職人を複数雇う「腕のいい仕立屋」(健治さん)で、震災まで修理を請け負うなど現役を通した。
 8年前のあの日、妻と長女で健治さんの妻世紀子(せきこ)さんは近くの高台に避難。正虎さんは痛む脚では長時間歩けないと、店舗2階の健治さんの自宅に上がることにした。
 逃げてきた旅行者の女性を2階に避難させた後、店は浸水。店にいたとみられる正虎さんは女性と共にボートで救出され、救急車で運ばれたという。
 健治さんらは市内外の病院を尋ね歩いたが、混乱の中、正虎さんを見つけることはできなかった。
 4月に入ったころ、正虎さんの夢を見た健治さんが塩釜消防本部を訪ねると、搬送中に亡くなり、そのまま利府町の遺体安置所へ運ばれたことが分かった。
 「どこかで生きていると思っていたのに」。遺体と対面し、がっくり肩を落とした健治さん。避難すれば助かった命、という無念は消えない。
 酒豪の正虎さんは晩酌の後も外で飲み歩き、70代までゴルフクラブを握った。「ゴルフに行った先でなぜかタラの芽を取って帰り、家族で天ぷらにして食べたこともあったな」。健治さんは在りし日を懐かしむ。
 朗らかな義父の笑顔を思い浮かべながら、健治さんは教訓を託された責務を感じている。追悼式では改めて避難の大切さを訴えるつもりだ。


2019年03月10日日曜日


先頭に戻る