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<震災8年>幸せの残像抱き生きる 長男一家失った仙台の山田さん夫婦慰霊碑へ

家族の冥福を祈り、慰霊碑の前で手を合わせる山田さん夫婦(右と中央)=11日午前8時45分ごろ、仙台市若林区の深沼海岸
在りし日の長男一家。左から真さん、友太郎ちゃん、久恵さん、純之介ちゃん

 東日本大震災から8年を迎えた11日朝、仙台市宮城野区蒲生の農業山田正二さん(72)、ひで子さん(69)夫婦が若林区の深沼海岸に立つ慰霊碑の前で手を合わせた。雨にぬれた碑をタオルでそっと拭き、亡き家族に語り掛けた。
 「みんな、そっちで元気にやっているか」
 震災時、深沼海岸近くで暮らしていた長男の真さん一家。身ごもっていた妻久恵さん=当時(35)=、友太郎ちゃん=同(4)=、純之介ちゃん=同(3)=が津波の犠牲になった。
 あの日、出張で宮城県外にいた会社員の真さんは急いで仙台に戻り、家族を懸命に捜した。3人は約3週間後までに、それぞれ荒浜小から数百メートル西の田んぼで見つかった。
 1年後、37歳だった真さんは自ら命を絶った。亡くなった4月10日は、友太郎ちゃんが存命なら迎えていた市内小学校の入学式翌日だった。遺書には「今から子どもたちの所に行きます」としたためてあった。
 真さんは今、蒲生の専能寺で妻子と一緒に眠る。4人の法名は真さんと久恵さんの名からとった「真久院」が付いた。
 山田さんは「元気なそぶりをしていたけれど、家族を守れず悔やんでいたのだろう」と推し量る。
 友太郎ちゃんの入学を機に蒲生の家を建て替え、真さん一家と同居する予定だった。ランドセルをプレゼントするのを心待ちにしていたひで子さんは「何も買ってあげないうちに逝ってしまった」と寂しがる。
 建て替え予定だった自宅は津波で全壊。母親さくえさんと仮設住宅で3年近く過ごした。「元の所に家を建てるから」。生前そう話していた真さんの遺志に沿い、2014年4月に再建したが、さくえさんは翌年、94歳で息を引き取った。
 仕事が忙しい長男夫婦に代わり、孫たちの面倒をよく見た。一緒に遊んだ庭や畑を見渡すと、幸せの残像が二人の脳裏に浮かぶ。
 恥ずかしがり屋だった友太郎ちゃん、お兄ちゃんの後をいつも追い掛けていた純之介ちゃん。息子たちの目を見ながらしつけていた幼稚園教諭の久恵さん。「おやじみたいに小学校のPTA役員をやる」と言っていた世話好きの真さん…。
 現在、山田さんはコメ作りを再開し、ひで子さんは手芸の集まりに出たり、野菜を育てたりして日々を過ごす。「いつかお迎えが来たら一緒に暮らそう。それまで頑張るから見ててけろ」。これからも二人は家族を思い続け、生きる。


2019年03月12日火曜日


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