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<震災8年>広がる平地感じる歳月、力受け継ぎ生きていく 詩人・和合亮一さん寄稿 

和合 亮一(わごう・りょういち)1968年福島市生まれ。詩人。中原中也賞、晩翠賞など受賞。最新刊は現代詩文庫「和合亮一詩集」、詩集「QQQ」など。震災直後に福島の現状を伝えたツイッターの詩集「詩の礫(つぶて)」が昨夏にフランスで出版され、文学賞ニュンク・レビュー・ポエトリー賞を受賞。福島県教育復興大使、福島大応援大使。50歳。

 昨年の冬に南三陸へと久しぶりに出かけた。防災庁舎の跡地へと向かった。たくさんの瓦礫(がれき)があちこちに残っていたり、山のようになって積み上げられていたりした光景が道すがら浮かんだ。たどり着いて見渡してみると辺りはすっかりと整地がなされていた。庁舎を眺めてみると、周りには土が盛られていて、3階だけが顔を出している。歳月が経(た)ったのだ。広がる平地を眺めて、かつての町の姿が消えてしまったとあらためて分かった。
 確かめるように歩いて、あの日の記憶がよみがえってきた。大変に天気の悪い日だった。2011年12月、「一万人の第九」という番組の冒頭で、防災庁舎前から追悼の詩を捧(ささ)げるという予定があった。本番は午後3時だが、さらなる荒天の場合を想定して収録をしておくことになった。雨と風にさらされて口が回らなかったり、マイクに音が入り込んだりして、一度も成功しなかった。朝の9時から失敗を繰り返していくうちに、あきらめの気持ちが私とスタッフの間で強くなってきた。
 振り向くと建物の3階や屋上などに船や車があった。突き刺さっている所もあった。嵐の中で息ができないようになってきた。雨と風がこちらに叫んでいると思った。「津波はひどかった」「安っぽい言葉なんかいらない」と告げられた気がした。声を荒らげたかった。お願いします、最後まで読ませてください。非情に吹きつけてくる。許されていないのだと感じた。

 現場に立ち尽くすしかなかった。黒い波の映像が重なった。原発が爆発してから「不必要な外出は避けてください」と告げられて、余震にさいなまれながら家に閉じこもっていた折に何度も見たものだった。ここでずっと避難を知らせ続けた方々がいらっしゃった。暴風の中で懸命なこだまの影が浮かぶ。
 「高台へ」
 その声に導かれて皆は駆け上がった。丘を見つめた。雨脚が強くてずぶ濡(ぬ)れの私たち。水平線の向こうへさらわれた人々。生き残った人々。
 一度もやり終えられないままに生放送の本番となった。もはや何もすべはない。空を誠実に仰いだ。少しだけ厳しい眼がゆるやかになった。最後まで読み通すことができた。終わって、嵐の中で地面にしがみついて、子どもみたいに大泣きした。全員で涙を禁じ得なかった。生きてここにあることを雨と風に叫ぶことに決めた。祈り続けさせてください…、と。
 光る海は今、おだやかにほほ笑んでいる。右は福島から、左は岩手から、まだ傷の癒えない東北の波がこの海辺へと集まり、静かな顔になって、また戻っていくかのようだ。
 帰る間際に、ある方から貴重な写真を見せていただいた。知らせを受けて、防災庁舎の屋上へと集まり、どうしていたのか。記録された1枚がある。柱の周りで丸くなって人々はしっかりと肩を組んでいた。そして次の1枚には、その柱の先だけが、波間に立っている姿があった。
 すぐそこまで波が近づいても、手と腕を決してゆるめなかったのだろう。目がうるむ。
 その力を受け継いで生きていきます。あの日のように空を見あげて。雲とともに道行きに呟(つぶや)いて。


2019年03月12日火曜日


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