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<古里からのバトン>海生かした新事業探る

インターンシップの学生と養殖事業の可能性を探る阿部さん(中央)=1日、宮城県南三陸町

 東日本大震災や東京電力福島第1原発事故の被災地に、首都圏や仙台など都市部から気概に富む人々がUターンしている。「復興の力になりたい」「傷ついた古里の行く末を見守りたい」。生まれ育った景色は失われても、古里への思いは消えない。

◎復興Uターン(2)宮城県南三陸町 阿部伊組取締役 阿部将己さん

 東日本大震災の復旧工事はいずれ終わる。その時、生き残れるか。被災地で建設業の未来を切り開く挑戦が始まった。
 「復興後を見据え、自分たちで仕事をつくるしかない」。宮城県南三陸町歌津の阿部将己さん(33)は2月から1カ月、インターンシップの大学生2人と新規事業の可能性を探った。本業は創業97年を誇る建設業「阿部伊組」の取締役だ。
 着目したのはマツモの陸上養殖だった。三陸沿岸の岩場に生える海藻で、供給が少なく高値で取引される。希少価値にビジネスチャンスを感じ、学生たちと市場調査や養殖技術の情報集めに奔走した。
 町内で8日、成果発表会があり、学生が事業計画を提案した。阿部さんは「実現の可能性を見いだせた。事業化に向けて動きだしたい」と力を込めた。

<特需後へ危機感>
 阿部伊組は臨海部での土木工事を得意とする。震災後は町の防潮堤建設に加え、公共施設の再建も手掛けてきた。冬の時代が続いていた業界は復興特需で息を吹き返した。
 建設業は景気に大きく左右される。震災関連事業は新規の建造物がほとんどで当面はメンテナンスの需要を見込めない。「会社は震災で延命したにすぎない」。新規事業を模索する背景には、そんな危機感があった。
 震災が古里を襲った時、東京の化学薬品商社で営業マンをしていた。社長の父ら家族は無事だったが、震災を機に家業と町の未来に思いを巡らせることが増えた。
 「40歳や50歳になってから地元に戻ったとして何ができるだろうか。その時、町そのものがどうなっているか分からない」
 東京での暮らしと仕事は充実していた。都会を離れることに後ろ髪を引かれる思いだったが、3年ほど考えた末、帰郷を決めた。

<星空の下で映画>
 家業に就いて2年が過ぎた。今は主に工事現場の管理を任され、昨年4月から仙台市内のビジネススクールで経営のイロハを学ぶ。
 養殖事業への挑戦は始まったばかりだが、担い手不足が続く水産業にインパクトを与える可能性を感じている。「町の資源である海を生かし、新たな収入源につなげたい」と意欲を見せる。
 阿部さんの関心は本業の行く末にとどまらない。
 震災で打撃を受けた町は復興に向けて歩みを進める一方、町並みは一変した。人口が急速に減り、住民は暮らしの場を高台に移した。夜は真っ暗。都会とはあまりにも対照的な光景に、当初は「寂しい気持ちになった」と振り返る。
 古里で生きると決めた自分が、町のために何ができるか。思い浮かんだのが、子どもたちが楽しめる場をつくることだった。
 昨年9月に町内のキャンプ場で、野外上映会「ねぶくろシネマ」を開催。家族連れなど約60人に星空の下で映画「スタンド・バイ・ミー」を楽しんでもらった。
 古里に戻り、価値観が変わった。「お金では得られない豊かさが町の暮らしにはある」。あの時の選択は間違っていなかった。今は心から思っている。


2019年03月14日木曜日


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