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<まちかどエッセー・工藤敏夫>蘇った仙台市電の思い出

 元仙台市電の唯一の現役車両が、本年3月末で引退、解体されるという記事には驚かされた。仙台で廃止されてから40年余も遠い長崎の地で活躍していたとは。そして、この記事は忘れかけていた幼少時の市電との思い出を鮮やかに蘇(よみがえ)らせてくれたのである。
 生家が市電通りに面し、門を出たすぐ左が停留所だった環境からか、幼い頃から市電に憧れ、異常なほどの興味を持っていた。
 当時の市電は、あずき色の木造車で、全長8メートル、定員が40名。運転台が車両の前と後ろにあった。
 母は、4、5歳だった電車大好きっ子を1人で何度も循環線に乗せてくれた。車掌が紐(ひも)を引いてベルをチンチンと2度鳴らし発車、ちなみに停車の合図はチン1度だけ。チンチン電車と親しまれた所以( ゆえん )でもある。
 電車は自宅前から西公園、南町から仙台駅へ、そして県庁、大学病院を経由し自宅前に。無事1周50分の旅行が完結する。一人旅はその後、長い路線にも及ぶ。
 印象に残るのは、長町や北仙台終点でのこと。全線複線だが、終点の降車地点から先は単線で、その場所に行くと車掌は車両中央の屋根から伸びるポールの綱を引っ張り、電車の周りを半周し、ポール先端の滑車を架線に結合させる作業で電車の向きを変えていた。
 ベテランは1度でつなぐのだが、慣れない車掌は何度も外す。外すたび、ショートして電光を放つ。幼心には1回で仕留める名人芸よりも、何度も電光を放つ花火師たちをひそかに応援したものであった。
 私を育てた「元柳町」の停留所名は、仙台市電博物館の掲示にも、仙台市電アーカイブ委員会制作「昭和を走った仙台市電」の系統図にもない。寂しく思っていたら先日、「仙台っこ」に掲載の昭和13年地図に明記されているのを発見、安心した。
 記憶は時の流れとともに消え去るもの。由緒ある地名が記されていた昭和10年代の系統図が掲載されていないのは実に残念である。より正確な記録の掲載を望みたい。
 昭和51年3月の仙台市電廃止の日と同日、長崎市で最後の車両が引退する。
(日本フォークダンス連盟宮城県支部長)


2019年03月18日月曜日


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