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<三鉄リアス線23日開業・つながる鉄路>(3)あの日の記憶/三セクの原点再確認

訓練車両を見送る金野さん=岩手県山田町の陸中山田駅

 北から南まで163キロ。岩手の海岸線が1本のレールで結ばれる。JR東日本から移管される山田線の宮古−釜石間(55.4キロ)が南、北リアス線をつなぎ、第三セクター三陸鉄道(宮古市)のリアス線が23日開業する。東日本大震災から8年。三陸の浜に復興の笛が響く。

 東日本大震災が発生した2011年3月11日、第三セクター三陸鉄道(宮古市)の運行本部長金野淳一さん(58)は、出張で仙台にいた。
 「とにかく宮古へ」。新潟、秋田、盛岡を経由して、ようやく三鉄宮古駅にたどり着いたのは2日後の13日だった。

<再開へ車内激論>
 宮古は停電が続き、停車中の列車が会社の災害対策本部になっていた。「できるだけ早く列車を走らせる」。当時の社長望月正彦さん(67)が金野さんに伝えた。もちろん異論はない。
 よく聞くと運行再開目標は3日後。「小学生に100メートルを9秒で走れと言うようなものだ」。安全統括管理者として、金野さんは到底受け入れられなかった。「安全が確保されない限りできません」
 車内の激論を横に、望月さんには目算があった。既に旅客サービス部担当部長の冨手淳さん(58)と、岩手県内を走る北リアス線の被災状況を車で確認。陸中野田(野田村)−久慈間は走行可能と判断していた。
 沿線では、住民が「三鉄さん、いつから動かせるの?」と困り果てた様子で尋ねてきた。震災から2日間、「三鉄は今後も必要なのか」と考え続けていた望月さんに、住民が答えを出してくれた。
 「待ってくれる人がいる。こういうときこそ何とかしないと」。望月さんも金野さんも思いは同じだ。慌ただしく区間の安全点検に取り掛かった。

<使命を胸に刻む>
 運賃無料の復興支援列車が久慈の車両基地を出発したのは16日。社長の宣言通りになった。「お帰り」「いやー、助かる」。久慈駅で聞いた乗客の歓喜を、金野さんは生涯忘れない。
 20日には宮古市内の宮古−田老間、29日には田老−小本(現岩泉小本、岩泉町)間と、少しずつ運転区間を延ばした。沿線住民ががれき処理の手を休め、車両に向かって大きく手を振る。三鉄の復旧は「三陸復興」そのものだった。
 甚大な被害と引き換えに、震災は三セク運営鉄道の原点を再確認させた。「多くの人々に育まれてきたのが三鉄だった」。望月さん、冨手さん、金野さん、そして全社員が使命を胸に刻んだ。
 今月23日、リアス線が開業する。三鉄にとっては1984年の営業運転開始、震災から復旧を果たした2014年の南、北リアス線全線運転再開に続く3度目の誕生日だ。「今後も住民と一緒に走り続けたい」。金野さんの表情が引き締まる。(宮古支局・佐々木貴)


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2019年03月21日木曜日


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