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「被災地の力に」思い全う 南三陸町派遣 長崎・南島原市職員佐藤さん 今月末、任期終了

町の子育て支援センターの行事で幼児を撮影する佐藤さん(左)

 東日本大震災で被災した宮城県南三陸町に、長崎県南島原市から派遣された職員の佐藤守謹(もりちか)さん(39)が3月末で任期を終える。町の総合計画策定や広報誌作りに関わり、復興に向け歩む被災地を後押しした。「町のため自分ができることはやり遂げた」。離任を前に充実した表情で語った。

 佐藤さんは「被災地の力になりたい」と志願し、南島原市に家族を残して2015年4月に赴任。同市から4人目の派遣職員として、企画課で4年にわたり任務に当たった。
 1年目は、まちづくりの指針となる第2次総合計画の策定に携わった。復興後を見据え「子どもたちが思う町の良さを伸ばす施策を打ちたい」と考え、町内の中学校と高校を回って町の魅力を生徒たちに聞いた。
 3年目から広報を担当。心掛けたのが、広報誌に町民の笑顔を多く載せることだった。
 「笑った時だけ、震災のつらい記憶を忘れられる。お客さんが笑顔になれる店にしたい」。町内の飲食店を取材で訪れた時、男性店主の言葉が心に響いた。
 年明けの1月号の表紙は2年連続で、町内の保育所や幼稚園に通う子どもたちの笑顔の顔写真で飾った。「子どもの笑顔は無敵。前向きな気持ちにさせてくれる」。毎回、200人以上の撮影を自らこなした。
 佐藤さんにとって、忘れられない災害の記憶がある。小学5年だった1990年、地元の長崎県で発生した雲仙普賢岳の噴火だ。翌年には火砕流で43人が犠牲になる惨事になった。
 子どもの頃に身近な場所で災害を目の当たりにし、東北を襲った震災は人ごとではなかった。被災地の惨状をニュースで見るたび「困っている人の力になりたい」との思いが募った。
 震災後の4月末に長崎県の災害派遣団の一員として陸前高田市に入り、2週間滞在して避難所運営などを担った。「被災地は出口が見えない中、このまま離れてしまっていいのか」と葛藤し、被災地への思いを強くした。
 知らない町で働くことに当初は不安があったが、持ち前の人当たりの良さで地域に溶け込んだ。休日は農作業のボランティアに汗を流し、仕事の枠を超えたつながりもできた。
 「今は南三陸に来て良かったと思っている。第二の古里になった」。被災地で働いた4年間は人生の大きな財産になった。
 南三陸地方の方言で「お手伝い」を「おでって」と言う。「町でのおでっては終わるが、今後は長崎から町の復興を見守りたい」と佐藤さんは語った。


2019年03月27日水曜日


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