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<阿武隈川物語>(38)源流と河口 学び合い

阿武隈川源流で水遊びを楽しむ川谷小と荒浜小の児童たち=2018年6月、福島県西郷村
船上でカモメに餌をやる児童たち=2018年9月、宮城県亘理町荒浜

◎第8部 水辺で(1)交流

 人の暮らしは長らく、川の恩恵にあずかるところが多大だった。現代では少し遠くなったようだが、川は人生の折節に、憩いと潤いをもたらしてくれる場でもある。水辺に親しんで生きる阿武隈川流域の人々の思いに触れた。
(角田支局・会田正宣)

<川縁に相互訪問>
 那須甲子連峰を望み、緑の遊歩道を抜け、はしごを下りて河原に出る。澄んだ青い水。「一休みの滝」の水しぶき。爽やかな渓谷に思わず歓声が上がる。
 福島県西郷村の阿武隈川源流で2018年6月、地元の同村川谷小の5、6年生5人と、河口の宮城県亘理町荒浜小5年生18人が一緒に水遊びを楽しんだ。
 川を縁に、両校は2000年から交流する。昨年9月には川谷小3〜6年生19人が荒浜を訪れ、はらこ飯作りを体験。釣り船にも乗り、鳥の海を周遊した。
 川谷小5年嶋田渚さん(11)は「海でカモメに餌をやったのが楽しかった。荒浜の友達はフレンドリーで優しい」とほほ笑んだ。
 川谷の開拓=?=は終戦直後に始まり、酪農が盛んに営まれた。川谷小の最初の児童だった嶋田さんの祖父母も酪農家だった。
 3代目の酪農業須藤政美さん(57)が、交流当初から源流を案内する。熊撃ちをする須藤さんが体験談を披露しながら熊の毛皮を触らせると、荒浜の児童が目を輝かせた。
 須藤さんは「子ども同士が海と山で互いに違った自然環境を、新鮮に感じている。自然の中でたくましく育っていく」と喜ぶ。

<最適の情操教育>
 荒浜小5年真壁ののはさん(11)も「西郷は初めて行ったけれど、阿武隈川でつながっていると知った。水がきれいで、空気がおいしかった」と笑顔で話す。
 真壁さんは東日本大震災の津波のときに建物の屋上に避難し、2日後にヘリコプターで救助された。「人が戻ってきて、にぎやかなまちになってほしい。将来は保育士か幼稚園の先生になりたい」と夢を描く。
 はらこ飯づくりでサケを解体した荒浜の岡崎由紀子さん(75)は「西郷の子は丸々一本のサケを初めて見て、驚いていた。食べることは生きること。命の尊さを感じてほしい」と願う。
 津波で自宅の1階が浸水した岡崎さん。夫は震災直後から区長を務め、集会所再建に精魂を傾け、15年に74歳で亡くなった。
 震災の語り部ボランティアも務める岡崎さんは「地域の人口が減り、子どもはかけがえのない存在。見守り続けたい」と話す。
 交流を始めた時の荒浜小校長だった千葉宗久さん(69)=岩沼市=は「現代は川の記憶が希薄になったが、人の流れと文化は川でつながっていた。自然に生かされてきたことを感じ取る力が、これからの人間に必要。情操教育の場として川は最適だ」と考える。

[川谷の開拓]農業教育家加藤完治が復員軍人らの帰農を目的に、旧陸軍軍馬補給部の軍用地の開拓を計画。加藤が所長を務めた、旧満州(中国東北部)開拓移民のリーダー養成機関「満蒙開拓指導員養成所」の教え子らが1945年10月に入植して始まった。


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2019年03月27日水曜日


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