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<東日本大震災 復興人>震災、医師の道へ導く 阪神と東北重ね歩む

被災地医療に携わりたいと語る塚本さん=仙台市青葉区小松島の東北医科薬科大

◎仙台市青葉区・東北医科薬科大2年 塚本聖花さん(21)

 阪神大震災と東日本大震災。二つの震災との縁を力に東北医科薬科大医学部医学科2年の塚本聖花さん(21)が、出身の京都市から約580キロ離れた仙台市で医師への道を歩んでいる。
 神戸市長田区に住んでいた祖母(88)は1995年1月17日、自宅で被災した。就寝中に屋根や梁(はり)が落ちてきたが、倒れたタンスと床の隙間に入り、奇跡的に一命を取り留めた。
 京都新聞記者の父宏さん(52)は取材のため神戸市に直行した。震災担当記者として約1年間、神戸市でホテル住まいをしながら被災地を駆け回った。
 聖花さんが生まれたのはその3年後。物心ついた頃には震災の生々しい傷痕は消えていた。

 家族で年1度、祖母が住んでいた長田区の住宅跡を訪ねている。祖母は京都市の聖花さん宅に身を寄せた後、市内の高齢者専用マンションに移った。事あるごとに「長田区でずっと暮らしたかった」と漏らしていた。
 書籍化された父の震災の記事を繰り返し読んだ。被災した画家ががれきの風景をスケッチする姿が記されていた。「人が困っているところを描いて楽しいのか」。周囲から罵声を浴びせられながらも「被災地の姿を後世に伝えなければいけない」と描き続ける画家。父の姿が重なった。
 東日本大震災に遭遇したのは中学1年。卒業式の予行練習をしていた。最初はめまいだと思ったが、校内放送で大地震の揺れが京都まで届いたことを知った。テレビに映る泥とがれきに覆われた街並みに言葉を失った。父の記事や祖母の話で聞いたのと同じ惨状が広がっていた。
 「東日本大震災の被災地の惨状は人ごととは思えなかった。誰かを直接助けることができる医師になりたい」。進路が決まった。

 第1志望に落ちて浪人していた時、被災地支援に携わる若者を支援する岩手県の奨学金を父が見つけた。父もまた阪神と東日本大震災を重ね合わせ、東北の被災地を案じていた。
 父から「東北で医者になってみないか」と勧められ、猛勉強の末、東北医科薬科大に合格した。東北に来る同級生や後輩は他にいなかった。
 「父は私が京都に帰ってくることはないと送り出したと思う。覚悟を決めた」
 大学で地域医療サークルに所属し、石巻市の仮設住宅や災害公営住宅などを訪問した。祖母と同じように、多くの高齢者が元の生活を取り戻せないでいる現実があった。
 「患者さんの気持ちにどれだけ寄り添えるのかを考え続けたい。父のように現場第一で仕事をする大人になりたい」
 心身ともに傷ついた被災者に寄り添う。東北の被災地のために力を尽くす覚悟だ。(報道部・菅谷仁)

<描く未来図>多くの人救いたい

 関連死を含め6434人が亡くなった阪神大震災から24年。多くの人の努力で復興が進み、神戸市は街のにぎわいを取り戻した。一方で心の傷や、災害時とその後に生じた病気で祖母をはじめ多くの被災者が今も苦しんでいる。東北の被災地の復興もこれからが医療人として正念場だと思う。地域に根差し、多くの人を救える医師になりたい。


2019年03月29日金曜日


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