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<E番ノート拡大版>球団創設時の戦士紀藤さん 球児の指導が生きがいに 

ベンチで選手たちの練習を見守る監督の紀藤さん=茨城県茨城町の水戸啓明高総合グラウンド

 東北楽天参入1季目の2005年を田尾安志監督の下で戦い、今季新指揮官となったのは平石洋介監督だけではない。40歳投手でチーム最年長だった紀藤真琴さん(53)は1月、茨城県の水戸啓明高監督に就任した。旧名の水戸短大付高時代、甲子園大会に出場した強豪校で指導に力を注いでいる。

<どん底の最終年>
 ブルペンで懇々と投手の在り方を説く言葉には丸みがあった。一匹おおかみ的だった選手時代と違う年輪をのぞかせた。
 「直球が走らず、緩急がつかない時はどうしよう? それでもスピードを求めるのか? いや大事なのは変化球の球速を遅くすること。練習でその技術を磨けば、いつでも安定した投球ができる。発想の転換だよ」
 「もう創設15年目か」。紀藤さんは広島、中日を経て04年オフ、東北楽天に来た。中日で秋に落合博満監督(男鹿市出身)から球場へ呼び出されて言われた。「『田尾が監督になるんだ。仙台へ行け』ってだけ。『はい、そうですか』と返すしかなかったよ」
 22年間の現役最終年は38勝97敗1分けでどん底の最下位に沈んだあの05年だった。晩年のベテランばかりで「寄せ集め集団」と世間にやゆされた。「元近鉄、元オリックス、自分は元中日。本当に多国籍軍のようなもので、チームワークと言うほどのまとまりがなかった」
 紀藤さんは8度先発して手薄な投手陣の力になったが、0勝5敗。インフルエンザを発症し開幕1軍を逃した。5月末、初先発した阪神戦で6回2失点と好投したのが一番の仕事だった。

<岩隈らを支える>
 06年から3年間は投手コーチ。08年、21勝で投手タイトルを総なめにした岩隈久志投手(巨人)を支えた。けががちだった右腕に「お前がエースだ」と何度も言い聞かせ、鼓舞した。「しっかり責任を全うさせたい」と基本的に中6日起用を崩さなかった。
 最近、テレビの米大リーグ中継で田中将大投手(ヤンキース)の投球練習を見て感慨に浸ったという。高卒1年目で新人王に輝いた07年、紀藤さんが教えたフォーム修正法を変わらずに続けていた。「入団直後から本気でプロで生き抜こうという姿勢を見せていた。原点を忘れていないのだろうね」
 10〜13年に台湾球界で4年の指導経験を積んだ後、水戸市に移り住み少年野球教室を開いていた縁もあり、監督就任に至った。今は「成長が目に見えて楽しい」と高校球児指導が生きがい。目標は学校として02年春以来の甲子園出場だ。
 自身は愛知・中京高(現中京大中京高)出身。1983年夏の甲子園大会準決勝で「阿波の金太郎」こと水野雄仁投手(元巨人)を擁する徳島・池田高に敗れた。当時エースの野中徹博さん(元オリックス、中日など)もこの冬から島根・出雲西高の監督になった。「なぜか同じ世界に集まってきたなあ」。近い将来、監督同士で相まみえたい思いもある。(金野正之)


2019年03月29日金曜日


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