宮城のニュース

<まちかどエッセー・工藤敏夫>フォークダンスとの出会い

 私がフォークダンスに出会ったのは、大学に入学したての放課後。校舎東端から流れてきた軽快な音楽に惹(ひ)かれ、訪ねたそこは講堂でした。中では上級生が8人の輪を二つ作り、楽しげに踊っていました。
 「こんな所で見ていないで、入りなさいよ」と突然の声。入り口で見ていた数人の新入生と共に中に招かれ、しばし見学の後、「一度やってみましょう」と体験学習。初めての踊りに緊張したのか、回転動作をした後、不覚にも目を回し、その場に座り込みました。
 今思えばあれはスクエアダンスの基本動作のスイングだったのです。先輩も初体験の同年生も平気でいるのに、「何で俺だけが、目を回したのか。悔しい!」。この妙な発奮が次回から自らを積極的にダンス班活動へと向かわせたのでした。
 そんなささいなきっかけから始めたフォークダンスでしたが、半年後には学内にとどまらず、恐れ気もなく「宮城県スクエアダンスクラブ」の例会に通い始めるほどキ印に成長しました。
 宮城県スクエアダンスクラブは1949(昭和24)年、県教委主催の講習会を契機に結成された、官庁・公社・学校などの指導者が集まる、当時の仙台では最高レベルの会で、毎週金曜日の夜、木町通小学校で定例会を開いていました。覚えたての若造が参加するなどとんでもない話ですが、皆さんは大人の対応で若輩者を温かく迎えてくれたのでした。
 52年、市内の各団体をまとめ「仙台市フォークダンス協会」が設立されたことに伴い、この会は発展的解消を遂げましたが、新しい協会の加盟が団体単位でしたので、大学でも学部ごとのサークルを統合し、53年に「東北大学FD同好会」を設立しました。
 そうした経緯の中で、多くの指導者の方との面識を得たことが、その後の60年余りも関わることになろうとは、お釈迦(しゃか)さまでも予測できないことでしたろう。
 今しみじみ、フォークダンス先進地仙台に育てられたことを感謝し、「良き時・良き人・良きところ」のおかげとの念を深くしております。もちろん、長い間支えてくれた妻や家族があったればこそ、ですが。
(日本フォークダンス連盟宮城県支部長)


2019年04月01日月曜日


先頭に戻る