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<仙台いやすこ歩き>(97)洋菓子/ケーキ懐かしの味わい

 春の風を感じると、ぼんやりと若かりし季節が思い出される。高校時代、友達に初めて連れていってもらったお店に、今日は画伯といやすこ道中だ。
 その名は「甘座(あまんざ)洋菓子店」(仙台市青葉区立町)である。定禅寺通沿い、せんだいメディアテークの向かいにあって、奥ゆかしくもしゃれたたたずまいの店のドアを押せば、ガラスケースに並ぶ端正なケーキたち、そして老若男女のお客さん。
 「次々とお客さんが入ってくるね」と、こそこそ話をしていると、奥から白い職人服も爽やかに登場したのは、渡辺靖水(きよみ)さん(44)。有限会社とびばいさ甘座の工場長だ。
 今年で51年目を迎えるという甘座は、靖水さんのお父さんが創業した洋菓子店。お父さんは仙台の和菓子の老舗「売茶翁(ばいさおう)」の三男で、実家で和菓子を学び、その後、東京銀座の洋菓子店クローバーを軸に10年間、ケーキや焼き菓子などの修業に励んだそう。
 「祖父から、お前はケーキはどうかと言われたところから始まったそうです」。祖父、つまり売茶翁の創業者が開店の際に甘座の名と、キャッチフレーズ「とびばいさ」を付けてくれた。そこには、売茶翁を飛び越えるほどにおいしい菓子店に成長するようにという願いが込められていた。1968(昭和43)年、国分町に開店した甘座は、確かに名前も店構えも新しい空気をまとっていた。靖水さんの指さす方を見れば、店内の壁に国分町店の絵が飾ってある。
 現在地に2店目を出店した後、国分町店は火事で焼失したが、ケーキや焼き菓子のラインアップも味も、創業時とほぼ変わっていないという。カスタードシュークリーム、チョコエクレア、モカエクレア、バタークリームのケーキ、私が甘座で初めて食べたチーズケーキ! 「フランス菓子あり、ドイツ菓子あり、父は『ここにあるのは自分が好きな洋菓子だ』と言っています」
 今は、弟の敬介さん(41)が2代目を継いでいる。工場を案内してもらった。1階では敬介さんをはじめ若い職人たちがケーキ作りに励んでいる。真剣なのに、どこか楽しそう。2階へ上がると、靖水さんが「ここが私の職場です」とにっこり。
 子どもの頃から絵が好きだった靖水さんは、職人さんに背中を押されてデコレーションを始め、今では一手に担当している。注文のケーキにデコレーションするところを見せてくれた。
 バタークリームを温めながら混ぜ、回転台に載せたスポンジケーキ全体にバタークリームを塗る。絞り袋と口金を3種使いながら、魔法のように飾り付けは進み、最後は口金を外してバラの葉を絞り出す。うっとり見とれる2人に、靖水さんは「私の中ではドレスを着せるようなイメージなんです」とここでも真剣かつ楽しそうだ。オフホワイトの色合いを身にまとったケーキは、なんて気品に満ちているのだろう。
 迷いながら選んだケーキを、帰宅後、ゆっくりと口に運べば、「あぁ〜この味」とうれしくなってくる。最近知った「いいものは、どこか懐かしい」という言葉がぴたりと重なった。

◎おぼえがき/バタークリーム人気復活

 デコレーションケーキとは、スポンジケーキを台にしてクリームやチョコ、果物で飾ったケーキの総称で、ショートケーキ、バースデーケーキ、ウエディングケーキ、クリスマスケーキなどがある。
 スポンジケーキの誕生は15世紀末。お菓子といえばビスケットぐらいしかなかったスペインで、ビスコチョが生まれ、材料の卵をかき混ぜていたところ、ぼこぼことした泡立ちが消えず、そこに他の材料を加え焼いてみたらふっくらとしたスポンジケーキができたのが始まりといわれる。
 これにより西洋の菓子は一大変革を遂げ、いろいろなデコレーションケーキやアントルメ類へとバリエーションが広がった。スポンジケーキは生まれた地にちなんでカスティーリャ・ボーロと呼ばれた。ボーロはお菓子の意。1593年、ポルトガル人によって鉄砲と共に伝えられ、わが国の洋菓子はここに始まった。
 デコレーションケーキが日本で普及したのは戦後。進駐軍によるという説が有力である。ちなみに昭和40年代までデコレーションの主流だったバタークリームは生クリームへと変わったが、近年、バタークリームの人気が復活している。
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 土地には、その土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター(愛称「みい」)とイラストレーター(愛称「画伯」)が、仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。


2019年04月01日月曜日


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