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<気仙沼大島大橋開通>3代続けて架橋訴えた小松さん一家 95歳祖母 万感の思い

橋を渡った後、車を止めて談笑するトモヘさん(右)と武さん

 大島架橋促進協議会会長の小松武さん(43)は開通から1時間後、同居する祖母トモヘさん(95)と車で橋を渡った。架橋実現に向け、一家3代で取り組んだ苦労が報われた瞬間でもあった。
 週2日、デイサービスに通うトモヘさん。今年1月に開通日が発表されると、「早く渡りたい。当日は晴れるといいなあ」と何度も武さんに話していた。
 孫は祖母の願いをかなえた。橋を渡り、トモヘさんの実家があった本土の三ノ浜地区に車を止めた武さん。「近くなったね」と話し掛けると、トモヘさんは「本当にありがたい」と涙ぐんだ。
 トモヘさんが島へ渡り、武さんの祖父登さん(故人)に嫁いだのは終戦直後。「そのうち橋がつながるんだから」と送り出されたが、当時は架橋実現の可能性は低かった。
 約50年前、宮城県の計画に盛り込まれると、島内は架橋を巡り賛成、反対の激しい議論が湧き起こった。「橋の話をするのさえタブーだった時代」(武さん)に、橋の必要性を長年にわたり訴え続けたのが登さんだった。
 トモヘさんは三ノ浜や隣接する二ノ浜地区の住民らが架橋促進を目的につくった「浦島会」の設立に関わった。設立メンバーには、二ノ浜地区から婿入りした武さんの父政行さん(74)も名を連ねた。政行さんは「目の前に実家があるのに、すぐに戻れない無念さがあった」と振り返る。
 武さんは2012年の協議会会長就任を機に、架橋実現までの歴史を改めてたどった。祖父や父の活動の大きさを知ったという。
 「先輩たちの努力のおかげで今がある」と武さん。車中で祖母の手を握りながら、架橋実現を願った島民の思いをかみしめた。


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2019年04月08日月曜日


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