宮城のニュース

<気仙沼大島大橋開通>臨時船「ひまわり」 震災、病越えた船長が涙

集まった島民と握手を交わす臨時船「ひまわり」の菅原船長(左)=6日午後7時30分ごろ、宮城県気仙沼市大島

 約50年間、島民の夜間や緊急時の足となり、東日本大震災直後は8カ月間、無償で運航した臨時船「ひまわり」が役割を終えた。
 震災にも病気にも負けず、船を動かした船長の菅原進さん(76)は「ご苦労さん」と相棒をねぎらった。
 大島中を卒業後、マグロ漁船などに乗った菅原さん。1968年にヨシ子さん(78)と結婚したのを機に、70年から定期船終了後の夜間などに運航を始めた。
 火葬のため島から本土に運んだ遺体は数百。出産間近の妊婦のために、船内にお湯とたらいを準備したこともあった。早朝の仕事に備えてビールケースの上に毛布を敷き、船に寝泊まりしたことも数多くある。
 震災時は船を沖に出して守った。自宅は全壊。それでも、島民のため2日後には船を動かした。運賃を支払おうとする乗客には「金はいらない。一緒に頑張ろうよ」と励ました。
 2014年夏。疲れが残るため、病院で診断すると前立腺がんだった。医者からは手術を勧められたが、「船を動かさないと」と断った。
 放射線治療を受けながら、かじを握り続けた。「ありがとうと声を掛けられるのがうれしくて、50年間続けられた」と振り返る。
 6日夜、最後の運航を前に船長をねぎらおうと、島民約100人が島の船着き場に集まった。ヨシ子さんから花束をもらい、うっすら涙を浮かべた船長は、ひまわりに声を掛けた。
 「今日も頑張ろう。明日からはゆっくりしような」


関連ページ: 宮城 社会

2019年04月08日月曜日


先頭に戻る